K新報社長の田熊氏が嘲笑《あざわら》っていた。彼は署長の手帖の中身をスッカリ藁半紙《わらばんし》に書き写してしまってから、激しい地声《じごえ》でまくし立てた。
「手帖を展《ひろ》げるなら、こんなくだらんことを見せるのは止して、犯人の名を書いてあるところでも見せたがいいよ」
「オイ貴様、盗人《ぬすびと》みたいなやつだナ。そんな暇があるなら職務執行妨害罪というのを研究しておけよ」
 田熊は咳払いと共に向うへスタスタ歩いていった。
「どうも彼奴《きゃつ》は苦が手だ。……そこで今のうちに……」
 と署長は、周到に手帖を畳んで冥想《めいそう》していると、そこへ庄内村の巡査が入って来て彼の机の前で挙手の敬礼をした。
「報告に参りました」
「ああ、君か。いや御苦労だった。あれはどうだったネ」
 その巡査は、署長の命令によって、今朝から右足湖畔《うそくこはん》をめぐって捜索して来た者だった。
「御命令によりまして、第一に空気工場へ参りました。午前八時でしたが、気球は地面に四基だけ結んでありました」
「四個?」署長は手帖を拡げて首をかしげた。
「陳述によると、懐中電灯ニヨリ三個ノ気球ヲ認メタ――とある。すると君の報告の方が一つ多いね」
 署長は鉛筆を嘗《な》め嘗め三個の横に4とかいた。
「第二の、湖尻《うみじり》で村尾某の乗りました舟を探しましたが見当りませんので」
「舟が見当らぬ? そうか。湖水の中を探ってみるんだネ」
「それからトラックの跡で、墓場から青谷二郎の家までついていたという話でしたが、これはハッキリ見えませんでした。誰かが地均《じなら》しをしたような形跡は見ました」
「フン、フン」と署長はまた手帖へ書きこんで「それからあと、どうした」
「次は新仏のことですが、あれは確かにございました。峰雪乃《みねゆきの》の墓です。これは初産《ういざん》に気の毒にも前置胎盤で亡くなりましたので……。この墓については大体おっしゃった通りでしたが、ただ違いますとこは、新仏の上は土が被せてあるというお話でしたが間違いで、もう既に綺麗な土饅頭《どまんじゅう》ができていました」
「ホホウ、そうか」と署長はまた鉛筆を嘗めた。「その次は……」
「もうそれきりです」
「うん、これは御苦労だった。では適宜に引取ってよろしい」
 巡査は署長の方へ向いてペコンとお辞儀した後、側を向いてもう一つお辞儀をし、廻れ右をして帰っていった。
「さあ、これだけ材料が揃えば、まずわしの面目も立つというものだ」
 と署長は呟いた。途端にその背後で例のエヘンという咳払いが聞えたので、署長は急に苦《に》が虫《むし》を噛みつぶしたような顔になった。
「なんじゃ、これは一体」
 とベタ一面に鉛筆を走らせた藁半紙《わらばんし》を署長の鼻先につきつけたのは、もう夙《とっ》くに帰ったものとばかり思っていたK新報社長の田熊だった。
「こんなまどろこしいことはやめろ。これでは殺人事件は何年たっても解けないぞ。号外だって之《これ》までに六遍も出しそこなった。犯人の血まみれ男はどうしたのだ。あいつをここへ引擦《ひきず》り出し給え。一体あの怪漢を、こんどは厳重に囲って見せぬようだが、あれは一体何者だ。とにかくこの次来たときにも、手帖と睨《にら》めくらでは、いよいよ新聞で書きたてるぞ、いいか」
 田熊は云うだけのことを云うと、またスタスタと向うへ行った。
「智恵のない奴は、哀れなものだ」そう云ってニッと意味深い笑いを浮べた署長は、また村尾某の陳述書を読みだしたが、
「そうそうこれを頼まれていた」
 彼は電話機をひきよせると、番号を云ってK町の測候所を呼び出した。
「ああ、こっちはK署ですが。あのウ、右足湖を中心とする一帯の風速と風向きとを伺いたいのですが、昨夕から今朝にかけてです。……なるほど、……なるほど」としきりに感心していたが「そうですか、昨夜九時半ごろまでは西風、そこで風向きが一変して南西風に変った。ああそうですか」
 署長はまた何やら手帖の中に丹念に書こんだ。それから立ち上ると側の主任に自動車を命じた。
「わしは一寸庄内まで行って、村尾某に会って、それから都合によって、空気工場へ廻るぞ」といって出かけた。
 後で署員たちは、あの老衰署長が、こんどに限って、どうしてあのように威勢がよかったり、味な調べ方をやるのか不思議がった。


     4


 気短の田熊社長は、彼の社長室の床をドンドン踏み鳴らしていた。彼の脚のすぐそばには、菜葉服《なっばふく》の工夫が三人ほど、社長の足が飛んでくるのをヒヤヒヤ気にしながら、しきりとなにか針金を床下から引張りだして接ぎ合わせていた。電話工事をやっているらしかった。
「オイ何時まで懸《かか》るのだ」
「もう直ぐです……」
 丁度いい塩梅に、そのとき工事が完成した。工
前へ 次へ
全10ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
海野 十三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング