署長はその瞬間フラフラと、脳貧血に陥《おちい》りそうになった。実は血型なんてハイカラなものは考えたことがなかった。今となってこんな痛いところを突かれるなんてあるだろうか。彼の威信はこの瞬間地に墜ちた。
「どうです署長さん」なおも青谷は苛責《かしゃく》の手を緩《ゆる》めなかった。「僕はそのことだけでも無罪の筈です。僕を苦しめてどうなるのです。それより、なぜあの血まみれの容疑者を責めないのです。あんな怪《あや》しい奴をなぜ……」
そのとき、背面の扉がバタンと明いた。そして青谷の知らない男の声がした。
「怪しいとは僕のことですか」
ヌックリと青谷の前に立ったのは、長身の髭《ひげ》だらけの工夫体の男だった。作業服はヨレヨレながら、その声は気味の悪いほどしっかりしていた。
「僕こそ無罪ですよ。署長さんの云ったように貴下には手錠が懸るのが本当です。しかしすこし事実の違っている点がありましたから、訂正して置きましょう。この話の方が青谷君の腑《ふ》に落ちるでしょうから」
「君は誰です?」
「私ですか。人間灰が湖上へ降り注いでいる真下を舟で渡った男です。やがて帽子から顔から肩先から、融《と》けた血で血達磨《ちだるま》のようになった男です。なるほどこの肉も血も、珠江夫人のではなかった。貴下の言うとおりにネ。血型《けっけい》O型の人肉は誰だったのでしょう。それは貴下の家から程近い墓場の下に睡っていた女のものでした。峰雪乃《みねゆきの》――ご存知ですか、この名前を。たった今、その土饅頭を崩《くず》して棺桶の中を開いて来ましたが、中は全く空っぽです。貴下はあの晩、一度工場の門を出て墓場へゆき、闇《やみ》に紛《まぎ》れてこの仏《ほとけ》を掘りだし、工場へ引返したのです。そして人肉散華《じんにくさんげ》をやりました。墓の方は時間が無かったために、壊した土饅頭を作り直す暇がなく、上に土だけ被《かぶ》せておいたところを、はからずも通りかかった一人の男が見ました。つまりこの僕がネ」
髭男はニヤリと笑った。
「全くお気の毒でしたネ。人肉散華から再び帰って、貴下は土饅頭を作り、トラックの跡を消したが、それはもう遅すぎました。なぜこんなことをやったか。貴下はその夜かねての手筈で夫人に姿を隠させて、丁度《ちょうど》夫人が失踪したようにみせたのです。そして万事は赤沢博士に嫌疑がかかり、そしていい加減なとこ
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