の造作《ぞうさ》もないことだった。彼が唯一言、夫人にむかって、「奥さん、例の旅順大学に使わせる実験室がすっかり出来上って、今日の夕方までには、机も器械も全部とりつけが出来るんですよ」とさえ云えばよかった。あとは夫人の方で心得て、
「あら、そお。それじゃ、あたし夜分《やぶん》に、ちょっと、お寄りするわ。ね、いいでしょう、あなた」
と云うに違いないのだった。そして事実はすべてその筋書どおりに、とりはこばれたのだった。時計が七時をうつと、実験室の扉《ドア》がコトコトと打ち鳴らされた。室内にひとりで待ちかまえていた柿丘は、その音を聞くと、ニヤリと薄気味の悪い嗤《わら》いをうかべて、やおら、椅子の上から立ちあがった。
内部から柿丘が扉《ドア》を開くと、とびつくようにしてよろめきながら、雪子夫人が入ってきた。
「貴女お独り?」
と、柿丘はきいた、念のために……。
「ええ独りなのよ。どうしてさ、ああ、奥さんのことなの。奥さんなら、いまちょいとお仕事が、おあんなさるのですって」
雪子夫人は、お饒舌《しゃべり》をしたあとで、娼婦《しょうふ》のように、いやらしいウインクを見せたのだった。
「奥さん
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