きるのだった。僕は、この有名なる富《と》める友人のお蔭で、その邸《やしき》に出入しては、自分の財布に相談してはいつになっても得られないような御馳走にありついたり、遇《たま》には独り身の鬱血《うっけつ》を払うために、町はずれの安待合《やすまちあい》の格子《こうし》をくぐるに足るお小遣《こづかい》を彼からせしめたこともあった。彼が呉子《くれこ》さんを迎えてからは、そう大《おお》ぴらには、せびることもできなかったが、彼の代りに出版の代作《だいさく》をしたり、講演の筋を書いたりして、その都度《つど》、学校から貰う給料に匹敵するほどの金を貰っていた。呉子さんはこの辺の事情を、うすうす知ってはいたのであろうが、生れつきの善良なる心で、僕をいろいろと手厚く歓待《かんたい》してくれたのだった。
僕は、柿丘邸の門をくぐるときには、案内を乞《こ》わずに、黙って入りこむのが慣例になっていた。柿丘が呉子さんを迎えてからは、この不作法《ぶさほう》極《きわ》まる訪問様式を、厳格《げんかく》に改《あらた》めたいと思ったのではあるが、どうも習慣というのは恐ろしいもので、格子《こうし》にちょいと手がかかると、僕はいつ
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