した。もしこのとき、探偵の本当の感想を安東にぶちまけたとしたらどうだろう。
“君は下手なことをしたよ。君の心臓を奪っていった男をひどい目にあわしてしまったんだからね。失恋の傷手《いたで》に悶々《もんもん》たる烏啼の奴は、今頃はやるせなさのあまり、君の心臓を串焼きなんかにして喰べてしまったかもしれないよ。とんでもないことだ、そんなことは安東に話してやれないな”
「ねえ先生、なんとかして頂けません、あたしの一番大切な人のために……」
いつ現われたのか、今福西枝が彼猫々の前に現われての歎願《たんがん》であったのであった。
「なるほど。では何とか努力してみましょう」
と、袋探偵はうっかり約束をしてしまって、後で大いに呻った。
約束は約束だ。そこで探偵はその夜一夜まんじりともしないで脳細胞を酷使《こくし》した揚句《あげく》、夜の明けるのを待って、稀代の怪賊烏啼天駆の隠家《かくれが》へ乗込んだ。
かれ烏啼天駆は、すっかり気を腐らせたと見え、髪も茫々《ぼうぼう》、髭も茫々、全身|熟柿《じゅくし》の如くにして長椅子の上に寝そべって夜を徹して酒をあおっていた。袋猫々が入って来たのを愕《おどろ》きもせず、不思議がりもせず、朦朧《もうろう》たる酔眼《すいがん》の色をかえもせず、依然として酒を浴びるように口の中へ送っている。
「おい烏啼君。この問題についちゃ、君は初めからへまばかりやっているよ。実行に先立ち、なぜもっとよく考えなかったんだ。そうすれば、結果が君の希望と反対になるということが分ったはずだ」
「……」
「いいかね、君は君の恋敵の身体からその心を奪って、恋敵の胸に不細工きわまる代用心臓をぶら下げさせた。それはそういう恰好が今福嬢の嗜好に適しないと考えたからなんだろう。――ところが、実行をしてみると誤算が現われた。ねえ、思い当るだろう」
「……」
「心臓を盗まれた男というんで、恋敵を一躍有名にしてしまった。そればかりか、恋敵の弱い心臓を切取って、その代りに強い代用心臓を取付けてやったもんだから、君の恋敵は俄然《がぜん》男性的と化成して忽《たちま》ち君を恋愛の敗北者へ蹴落しまった[#「蹴落しまった」はママ]。ねえ、分るだろう。つまり君はわざわざ自分を敗北者へ持って行くようなことをしたんだ。バカだねえ」
「ううッ、……」
「本当にバカだよ君は。君の恋敵は強い機械心臓を取付けて貰って天の恵みと喜んでいるし、今福嬢までが何がうれしいか喜んでいる。するに事欠《ことか》いて君は、恋敵の弱点であるところの生れつき弱い心臓を、わざわざ強い機械心臓に変えてやって――」
言葉半ばに、突然かれ烏啼は顔色をかえて部屋を飛出した。それから一時間後に、安東の胸には元の心臓がついていた。代用心臓の方は烏啼が持って帰った。二時間後に、新郎仁雄と新婦西枝は紐育《ニューヨーク》へ向け新婚移住の旅に出発していた。
その後、賊烏啼が、あべこべに袋探偵を追駆けまわしているという噂である。
底本:「海野十三全集 第12巻 超人間X号」三一書房
1990(平成2)年8月15日第1版第1刷発行
初出:「オール読物」文藝春秋社
1947(昭和22)年3月号
入力:tatsuki
校正:原田頌子
2001年12月29日公開
2006年8月3日修正
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