を、博士は出発の用意に専念した。すなわち、わざわざ大きなトランクを三つ、自製し、そのトランクの中へ、これまた博士自製のこまごましたものをいろいろと詰めこんだ。まことに手数のかかった出発準備であった。私たちが旅行するときには、デパートへいってファイバーのトランクを一つ買い、あとはテンセンストアで、一つ十銭の歯ブラッシや雲脂取《ふけと》り香水や時間表や蚤取粉《のみとりこ》などを買い集めてそのトランクの中に叩きこんで出かける手軽さとは、正に天地霄壌《てんちしょうじょう》の差があった。
 さあ、金博士の後を、われわれは紙と鉛筆とを持って追いかけることにしよう。


     2


 最初金博士は、三つのトランクを担《かつ》いで飛行場へ駈けつけたが、直ちに断わられてしまった。
「まことにお気の毒ですが、こんな重い大きな荷物は、会社の飛行機には乗りませんので……」
「大きいけれど、そんなに重くはないよ」
「……それに御行先《おゆきさき》の方面は只今気流がたいへん悪うございましてエヤポケットがナ……それにもう一つ残念ながら御行先の方の定期航路は一昨日《おととい》以来当分のうち休航ということになりましたので……それに……」
「ああ、もうよろしい」
 金博士は、サービス係の言葉を押し止《とど》め、
「何かこう、古くて役に立たない飛行機があったら、一つ売って貰いたいものじゃが、どうじゃろう」
「古くて、役に立たない飛行機といいますと」
「つまり、翼《よく》が破れているとか、プロペラの端《はし》が欠《か》けているとか、座席の下に穴が明いとるとか、そういうボロ飛行機でよいのじゃ。兎《と》に角《かく》、見たところ飛行機の型をして居り、申訳でいいから、エンジンもついて居り、プロペラの恰好をしたものがついて居ればいいのだ」
「そういう飛行機をどうなさいますので……」
「なあに、わしが乗って、自分で飛ばすのじゃ」
「そんな飛行機が飛ぶ道理がありませんですよ」
「わしが乗れば、必ず飛ぶんだ。詳《くわ》しいことを説明している暇はないがね、兎に角、そういう飛行機を売ってくれるか売ってくれないか、一体どっちだい」
「売ってさし上げても差支《さしつか》えはないのでございますが、生憎《あいにく》そんなボロ飛行機は只今ストックになって居りませんので……」
「無いのかい。そ、それを早くいえばいいんだ。この忙《せわ》しいのに、だらだらとくそにもならん話をしてわしを引きつけて置いて……ほう、早く行かにゃ、大先生と約束の時間に、○○へ入市できないぞ」
 博士は腕に嵌《は》めた大きな時計を見、例の大きな三つのトランクを軽々と担ぐと、大急ぎで飛行場を出ていった。
 後を見送ったサービス係は、長大息《ちょうたいそく》と共に小首《こくび》をかしげ、
「でも力のある老人じゃなあ。あの大きいトランクを、軽々と担いでいくとは……」
 金博士の姿は、こんどは埠頭《ふとう》に現れた。幸《さいわ》いに八千|噸《トン》ばかりの濠洲汽船が今出帆しようとしていたところなので、博士はこれ幸いと、船員をつき突ばして、無理やりに乗船して、サロンの中へ陣取った。
「もしもし、どなたかしりませんが、もう船室がありませんので」
 事務長がこわい顔をして博士のところへやって来た。
「船室? 船室はあるじゃないか。このとおり広い部屋があいているじゃないか」
「これはサロンでございまして、船室ではありません。御覧の通り、おやすみになるといたしましても、ベッドもありませんような次第です」
「いや、このソファの上に寝るから、心配しなさんな」
「それは困ります。では何とか船室を整理いたしまして、ベッドのある部屋を一つ作るでございましょう」
「何とでも勝手にしたまえ。わしは汽船に乗ったという名目《めいもく》さえつけばええのじゃ」
「え、名目と申しますと……」
「それは、こっちの話だ。ときにこの汽船は何時に○○港へ入る予定になっとるかね」
「はい、○○港入港は明後日《みょうごにち》の夕刻《ゆうこく》でございます」
「何じゃ明後日の夕刻? ずいぶん遅いじゃないか。わしは、そんなに待っとられん」
「待っとられないと仰有《おっしゃ》っても、今更予定の時間をどうすることも出来ません」
「ああもうよろしい。わしは明朝《みょうちょう》には○○港着と決めたから、もう何もいわんでよろしい」
「はあ、さいですか」
 金博士のことを、船内では気が変でないと思わない者は、ひとりもなかった。


     3


 金博士のために、第二二二号の船室が明《あ》けられた。
「これは至極《しごく》覚えやすい船室番号じゃわい」
 博士は、又ぞろ三つのトランクをひっさげてその部屋に移った。ボーイが、そのトランクを持とうとしたら、博士は奇声《きせい》を発して叱《しか
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