はその盃を目の高さにあげて透して見てにやりと笑う。盃は紫色の唇へ近づく。ごくり、ごくりと、うまそうに呑み終わって、死神男は盃を唇から放すを、傍なる女は白いあらわな腕をさし出して盃を受け取る。死神男の感にたえたという舌打――突然その男が、皺枯れた声を張り上げた。
「おい帆村荘六……」
 その声音に、帆村はぶるっと慄えた。
「……わしの臨終に、間に合うように来てくれたか。しかしピストルとは無風流な……」
「おお、古神行基か」
「そう……今気がついたのか。ひっひっひっひっ」
「君はまだ生きていたのか」
「……設計どおり人は揃った。カズという名の女人、こっちへお入り……」
「入っちゃいけない」
 帆村はカーテンの蔭へ叫んだ。
「ひっひっひっ。帆村荘六、何をいうか。……あっ、もう迎えだ。地獄へのお迎え……吸血鬼がひとり消える。さらば……」
「あなた!」
 生きていた古神行基が、ばったり前へのめるのに打重って田鶴子は激しく嗚咽《おえつ》する。
 帆村はいつの間にかピストルをポケットに収って、旧友の亡骸《なきがら》に向って合掌していた。
 こうして七人の青年の血を啜《すす》った吸血鬼古神行基は、本当にこの世から姿を消した。従ってこの物語も終ったわけであるが、四方木田鶴子は妖婦というのでもなく、彼女は古神のためには貞淑な忠実な側妾だった。
 後に分ったことであるが、古神は或る時、吸血の快楽を知って、遂に呪うべき吸血鬼と化した。しかし彼はそのままでは吸血鬼としての生活を送ることの危険を悟り、田鶴子とよく打合せて、アルプスで遭難したように見せかけ、戸籍面から名を消したのであった。それから以後に、彼は田鶴子の手引で七人の青年をこの千早館へ誘い込み、あの殺人回転刀でその生命を断ち切り、その新鮮なる血を絞って、毎日の用に供したのであった。最後の犠牲者は田川ではなく、田川はこの館内の地下室に繋がれて生きていた。彼は元来頭のいい男だったから、千早館の謎を解いて二度目の危険区域を脱したが、最後の謎である「在原の業平朝臣」の暗号言葉を知らなかったために内部へは入れずまごまごしている所を野毛に発見されて、地下へ繋がれたものである(野毛は古神家に代々仕えた料理番だった)。
 地下には水力発電所があった。その水力は愕くべきことに、この千早館の地下が鍾乳洞になっており、その地下水を利用したものであった。彼はその排水路に、自らの服の裏地を裂いて捨て、万一の救援を恃《たの》んだわけであるが、その排水は例の池へ開いていたのである。
 帆村と春部が、古神の死を前に呆然たる間に、田鶴子は階下へ走って、自らあの殺人回転刀に掛って、愛人のためとはいえ犯した罪を清算した。
 なお、この上、古神の稚気漫々たる謎遊びを覗いてみたい人は、業平のあの歌の上の句の中から、この物語の登場者の姓又は名を拾ってみるのも一興であろう。



底本:「海野十三全集 第11巻 四次元漂流」三一書房
   1988(昭和63)年12月15日第1版第1刷発行
初出:「ロック 増刊 探偵小説傑作選」
   1947(昭和22)年8月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:tatsuki
校正:kazuishi
2005年12月3日作成
青空文庫作成ファイル:
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