ら、よしましょう。とにかく田川さんの身の上に、何かあったに違いありません」
帆村は肯きながら、湯沸かしを暖炉の上の熱い鉄板の上に置いた。
「先生、今夜から、わたくしを助手に使って頂きますわ。ご迷惑でも、泊らせて頂きますよ」
「ここへお泊りにならない方がいいですね。でないと結婚を待っていらっしゃるあなたにとって……」
「いえ、先生。わたくしはそんなことを気にしませんし、大丈夫ですわ。それよりも、先生は、この事件に不吉な影がさしていると思うとおっしゃいましたが、それを説明して頂けません」
「困りましたね」
帆村は元のように椅子に腰を下ろし「……不吉な影といったのは、田川君の手紙にあった四方木田鶴子《よもぎたずこ》という女性のことに関係しているんです。今から四年前のこと、日本アルプスで、私の友人である古神行基《ふるかみゆきもと》という子爵が雪崩《なだれ》のために谿谷深くさらわれて行方不明になりました。救護隊も駆付けましたが、谿が深くて手の施しようがなく、子爵の不運ということになって、空しく引上げましたが、子爵が遭難するとき、彼が同伴していたのが、あの四方木田鶴子だったんです」
「まあ。すると先生は田鶴子さんを四年も前からご存じでいらしったんですの」
「私は、正確にいうとそれよりももう三年前から田鶴子なる少女を知っていました。しかし田鶴子は私を何者であるか、知っていないと思います。というのは、田鶴子は古神子爵が経営していた喫茶店の女給みたいなことをしていたんです。私はしばしば感じのいいその喫茶店の入口をくぐりましたがね、この店が古神子爵の経営店であることを知ったのは、ずっと後のことなんです。なにしろ現今ならともかく、その当時は、子爵が喫茶店を経営しているということが知れては大変なことになる時代でしたからね」
「まあ――」
「そのとき格別田鶴子を注意していた訳じゃありませんが、こっちがはっきり四方木田鶴子へ注目するようになったのは、子爵の遭難からです。早くいえば、私は子爵の本家筋にあたる池上侯爵家からの秘密なる依頼で、田鶴子には気付かれないように、秘密裡に彼女を調べたのです。私は常に黒幕のうしろに居り、田鶴子には婦人探偵の錚々《そうそう》たるところの[#「ところの」は底本では「ところを」]数名を当らせたんです。要点は、池上侯爵家からの依嘱により、“もしや四方木田鶴子があの雪山で古神子爵を雪崩の中に突き落としたのではないか”を明らかにするためだったのです」
「まあ、なんという恐ろしいお話でしょう」
春部は自分の両肩をしっかり抱きしめて、身ぶるいした。
「だが、その結果は、そういう嫌疑は無用だということになったんです。婦人探偵たちの一致した答申《とうしん》でした。そこで私はこの旨を池上侯爵家へ報告しました。それでそのことは片附いたんです。しかしその四方木田鶴子さんの姿を今年になってから突然見掛けたのでびっくりしていました。キャバレのビッグ・フォアでしたよ、実はそのときは田川君が連れていってくれたんですがね」
「わたくしもそうなんです」
「え。何がそうなんです」
「田鶴子さんに初めて紹介されたのが、ビッグ・フォアだったんです。やっぱり田川が連れていってくれたんです」
「ああ、そうですか。するとこれはなかなか因縁が搦《から》み合っていますね」
帆村はポケットからパイプをとりだした。
「で、田川君の田鶴子に対する態度はどうだったんですか。あなたの目にはどううつりましたか、正直なところ……」
相手に辛いかと思う質問を、帆村は放ったのであるが、春部は無造作にそれを引取って、
「田川は田鶴子さんを大使令嬢のように尊敬していました。また田鶴子さんもたいへん上品に見えました。わたくしはその間に忌まわしい関係などがあるようにはすこしも思えなかったのでございます」と、しとやかに感想を述べた。
帆村は感動の色を見せて肯いた。
「先生は、田鶴子さんが古神子爵殺しの容疑者であると考えていらっしゃらないんですか」
この突然の質問は、帆村を愕かした。しかし彼は静かに応《こた》えた。
「あの事件のときの婦人探偵の一致した『否』という答申を侯爵家に報告したのは責任者の私だったんです。それでお分りでしょう。しかしあのときの田鶴子さんに対する見解が、今日も尚続いているとはいえません。私達は、ここで改めて田鶴子さんを観察する必要があります」
「田川は、田鶴子さんを信ずるな、近よるなと、わたくしへ警告しています。それから考えると、田鶴子さんはわたくしたちへの悪意を持っているものとしか考えられないんですけれど……。いかがでしょうか」
「あの言葉はおよそ四つの場合に分析出来ると思いますよ。よくお考えになってごらんなさい」
「四つの場合でございますか。……さあ、どうして四つ
前へ
次へ
全14ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
海野 十三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング