てみましょう。もちろん冒険ですよ。しかしわれわれは今、冒険を必要とする要路にさしかかっているんです」
「ええ、分りました。では千早館へ行きましょう」
 と、春部はきっぱりいって、手に持っていた竹竿を草叢に落とした。

     8

 帆村は、小型のピストルを春部に渡した。帆村の手にはさっきまでは望遠鏡の役目をしていた洋杖が元の形に返って握られていた。
 二人は大まわりをして、千早館の真裏に当る山側から塀を越えて構内へ入った。それから壁伝いに玄関の正面に廻った。玄関は館内へ引込んでいて、四坪ほどの雨の懸らない煉瓦敷の外廊下があった。そのずっと左の隅に立って手を上に延ばすと、玄関の扉と同じ面にある壁の装飾浮彫の紅葉見物の屋形船に触《さ》わる。田鶴子が爪先《つまさき》を伸ばして、屋形船の上を指先で探っていたのを、帆村は望遠鏡の中で認めた。それだから彼は今、同じことを試みた。その屋形船に乗合っている男女の頭を一つ一つさぐっているうちに、短冊《たんざく》を持って笑っている烏帽子《えぼし》男の首が、すこしぐらぐらしているのを発見した。これだなと思い、その首を指で摘まんであちこちへ押してみるうちに、首は突然楽に壁の中に引込んだ。
「あっ、先生。壁が……」
 春部が帆村の腕に縋《すが》りついた。見るとすぐ傍の壁が煉瓦を積んだなりに、寄木細工を外すようにその一部が引込んで行く。あとには高さ六尺ばかり、人の通れるような穴が明いた。と、内部から響き来る異様な音響が、二人の耳を突いた。それはリズムを持っていることが分った。
「あ、音楽だ。あなたが朝聞いたのはあれでしたか」
「ああ、そうです。あの曲は田川の作曲したものですわ。“銃刑場の壁の後の交響楽”」
「カズ子さん、入りましょう。その穴の中へ入るのです」
 帆村は春部を左腕で抱き、壁穴を中へ飛び越えた[#「壁穴を中へ飛び越えた」はママ]。急いであたりを見廻わすと、そこは天井の高い、曲面の壁をもったがらんとした部屋だった。……ぱたんと音がして、部屋の中が闇となった。二人の背後に、壁穴が閉じたのである。
 春部は、力一杯帆村に獅噛《しが》みついた。帆村の指先に力がぐっと入ったのが春部に分った。
 無気味な、銃刑場の壁の後の曲が、化け蝙蝠《こうもり》のように暗黒の空間を跳ねまわる。――と、その部屋が、薄桃色の微かな光線で照明されているのが、二人に分った。闇に目が慣れたせいであった。
「どこでしょう、あの音楽を鳴らしているのは……」
 春部が声を忍んで、帆村に話しかけた。
「地の底から聞えて来るようですね。あなたは感じませんか、足の裏から振動が匐いあがって来る」
「ええッ……」
 春部は愕いて帆村の胴中を両腕で締めた。足が慄えている。
「ふしぎだ。いよいよふしぎだ」
 帆村の声が、別人のように皺枯《しわが》れた。
「えッ、何がふしぎ……」
「さっきあなたも塀の外で見たでしょうが、この建物への電気供給は断たれている。それにも拘らず、ほらあの通り、薄赤い光で照明されており、それから電気蓄音器も鳴っている……」
「あれはこの館の中で演奏しているんじゃないんですの」
 春部にとっては、その方が気懸りだった。田川がこれに幽閉されて、あの奏楽を指揮しているのではなかろうか。
「ふしぎだ。この建物の中には暖房設備があって、部屋を温めている。煙突一つ見えず、もちろん煙もあがっていなかったのに。……すると電気暖房かな。それにしては配電線が断たれているではないか。一体どうしてこのエネルギーを得ているのか」
 帆村は、これらのエネルギー源の追求に、彼の全精力をふり向けている。
「分らない。他の部屋を探すのだ」
 やがて帆村は、はき出すようにいった。そして春部の手を引いて、部屋の中を歩き出した。どこにも扉はない。部屋の片隅から、向こうへ伸びている廊下があるばかり。
 必然的に、その廊下を行くより外に途はなかった。帆村は、再び春部を抱えるようにして、その廊下へ進み入った。幅は一間ほどのその廊下だった。壁は同じ赤煉瓦を厚く積み重ねてある。叩けば、それとすぐ分った。何の特徴もない。天井はおそろしく高くて、二十尺はあるだろう。暗いのでよく分らないが、やっぱり煉瓦らしい。煉瓦をどんな方法であんなところへ貼りつけるのだろうか。
 廊下はところどころで曲っていて、長かった。二三度そういう角を曲った後で、帆村は急に足を停めて、春部に囁いた。
「カズ子さん。どうやらこれは普通の廊下でなくて、迷路のようですよ」
「メイロというと……」
「今朝バスで一緒になったお婆さんがいったでしょう。千早館の中には八幡の藪しらずがあるとね。その八幡の藪しらずというのがこの迷路なんですよ。待って下さい。思い出しかけたことがある……」
 と、帆村はそこで暫く薄あかりの
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