二人は気味わるさに、背筋に水を浴びたように感じた。
もしもこのとき、二人が千早館の表側に立っていたとしたら、彼らは意外の収穫を得たであろうに……。それは二人の不運だった。
だから、それからしばらく経って二人が本館の正面へ廻ったときには、或る事はもう終っていて、何の異常も存しなかった。二人はそこで一先ずここを去ることにして、元の塀の崩れたところから外へ出た。
「あれをごらんなさい」と帆村が洋杖《ステッキ》をあげて、裏口に近い塀の傍に立っている電柱を指した。
「電線があのとおりぷっつり切れています。千早館への電気の供給は、あのとおり電線が切られたとき以来|停《とま》っているのですよ」
「すると、あの建物の中は電灯もつかないから真暗なわけね」
「ま、そうです。従って、さっきわれわれが聞いた音は、配電会社には関係のない音だということになる」
「そんなことが何か重大な事柄なんですの」
「いや、それは私の頭を混乱させるばかりです。うむ、ひょっと[#「ひょっと」は底本では「ひっと」]するとこれもわれらへの挑戦かもしれないぞ」
「挑戦ですって、誰からの挑戦? そんなことは今までにちっとも仰有らなかったのに……」
「それはそうです。この千早館のまわりをぐるぐる廻っているうちに、ふとそれに気がついたのです。春部さん、これはいよいよ油断がなりませんよ。さあ、どしどしすることを急ぎましょう」
6
帆村は急に先を急ぎ出した。
彼は千早館の前に通っている道を奥へ取って、老婆の話にあった、聖弦寺《せいげんじ》を一覧した。それは今にも化けそうな荒れ寺であった。ぷうんとする黴《かび》くさい臭気を犯して、中へ入ってみたが、どの部屋もみな畳はみんな腹を切ってぼろぼろでここで炊事をしたり泊ったりすることは、出来ないことを確めた。
(では、田鶴子がこの土地へ来ているものなら、必ずあの千早館へ入りこんでいるに違いない。どこかに、あの女が出入りしている秘密の戸口があるに違いない。よし、それでは正攻法だ)
帆村の肚《はら》は決った。彼は千早館の前を通りぬけ、どんどん反対の方向へ春部を連れていった。約五丁ばかり東南へ行ったところに、下に池を抱えた一つの丘陵があって、松の木が生い繁《しげ》っていた。その丘陵へ帆村はずんずん登っていった。
「ここならいい。これから我慢くらべだ」
春部が聞き返したが、帆村は、しばらく自分のすることを見ていれば分るといって、彼の持っていた洋杖《ステッキ》の分解を始めた。
まず洋杖の柄を外し、あとの棒をがたがたやっていると、それはいつの間にか三脚台に変った。次にその洋杖の柄を縦に二つに割ったが、それを見ると、中には筒に入ったレンズやその他いろいろな精巧らしい器具がぎっしり填《つ》まっていた。帆村はその中からいくつかの器具や部品を取出し、それを三脚台の上に取付けた。もう誰の目にもはっきりそれと分る望遠鏡が出来上った。帆村はクランプをまわして望遠鏡の仰角をあげると、その焦点を調整した。
「ああ、千早館をここから監視なさるのね」
「そうです。今、よく見えています。交替で監視を続けましょう。そして、もし誰かが千早館を出入りするようだったら、それはどこから出入りするのか、よく見定めるのです。……しかしこの仕事は退屈ですよ。まず三十分交替としましょう。始めはもちろん私がやります。あなたはそれまでぶらぶらそこらを歩くなり、草の上で仮眠《うたたね》をするなり好きなようになさい」
この仕事が如何に退屈なものであるかは、それからいくばくもなくして二人によく分った。さすがの帆村も、二時間目には退屈して下の池まで下りて散歩をした。それから戻って来た彼は、カズ子と、見張りを交替して、池の話をした。
「変った池ですね。水が牛乳のように白いですね。多量に石灰を含んでいる。しかしこの辺は他に石灰質のところを見かけないんだが、あの池だけが石灰質の池なのかなあ。そんなことは有り得ないと思うが……」
そんなことをいわれたので、春部カズ子はその池へ興味を持って、下へ降りていった。
その春部は十五分ほど経つと、息をせいせい[#「せいせい」はママ]切って帆村のところへ駆け登って来た。
「た、大変よ。恐ろしい発見をしたんです。ちょっと来て下さらない、池のところまでですの」
春部はこれまでいつも面憎《つらにく》いほど取澄《とりすま》していたが、このときばかりは若い女子動員のように騒ぎ立てた。
「困りましたね。なにか重大なものを発見したらしいが、この千早館の監視は一秒たりとも中断することが出来ないのです。一体何ですか、あなたの発見したものは……」
「あの人の着ていた服地です」
「えっ、何といいました」
「田川のいつも着ている服の裏地なんです。それがこまかく切られて、
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