、引手もついていた。そしてその扉には、どういうわけか分らないが「戸ろ」と大きく白ペンキで書いてあった。
 左右の壁の金魚槽、右側の壁の中にひそんでいるプロペラまがいの金属体、正面奥の赤い壁と、「戸ろ」と書いた扉! そしてこの横丁だけが、白々とした怪光に照らし出されている!
(一体これはどうしたわけか?)
 さすがの帆村も呆然《ぼうぜん》として、しばらくは春部のことも何もかも忘れて、塑像《そぞう》のように突立っていた。

     10[#「10」は縦中横]

「先生、奥に何かあるようですわ。奥へ入ってみましょう」
 春部の声に、帆村ははっと吾れに戻った。
「あ、危い、待った!」
「ええッ」
「軽率に入ってはいけません。これこそ、この千早館の中の最大の謎なんでしょうから」
「千早館の最大の謎ですって?」
「なんと異様なものばかりが並んでいるじゃありませんか」
 と、帆村は出来るだけ低い声でいったつもりであったが、しかしそれはかなり高く響いた。
「綺麗ですわ。趣味はいいとは、思われないけれど……」
「異様ですよ。グロテスクですよ」
「あの金魚のことをおっしゃるのでしょう、白と紫の斑の……呀《あ》っ、先生どうなすったんです」
「何がです。私がどうかしましたか」
「ああ、どうなすったんです。先生の唇、血の気がありませんわ。紫色よ。気分がお悪いのですか」
 帆村はこのとき春部の顔を見て、愕《おどろ》きのあまり大きく目を見開いた。
「カズ子さん、あなたの唇も紫色ですよ」
「まあ。わたくしの唇も……」
 春部は、大きな声を出そうとして、周章《あわ》てて左手で自分の口を塞いだ。
「だが、もう訳が分りました。心配しないでいいのです。これは光線のせいです。ここを照らしている白っぽい光は、水銀灯が出す光線なんです。紫の方の波長の光線ばかりで、黄や赤の光線が殆ど欠けているから、赤いものでも紫または黒っぽく見えるのです」
「まあ、どうしてそんな気持のわるい光線でここを照らしているのでしょう」
「そこですよ、謎の一つは……」
 帆村は歎息した。
「向うに見える『戸ろ』とは何だ。それんばかりの謎がとけなくてなんの帆村荘六か。戸の『ろ』号だ。『ろ』だ、『ろ』だ。『ろ』は何だ。そうだ、戸の『ろ』号があれば『戸ノい』があってよろしい。『戸ノは』もあってよろしいわけ……『戸い』、『戸ろ』、に『戸は』……
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