、コロコロ転ってしまってどこかに隠れちまったのです。犯人は色をかえて探したことでしょう。注意深い彼に似合わしからぬ立派な犯跡をのこすことになるのでネ。ところが御覧のとおりダイヤルは受信機の下に転げこみ、所謂《いわゆる》灯台下暗《とうだいもとくら》しの古諺《こげん》に彼奴はしてやられたのです。これも天罰というやつですかな。その上、拙かったことは、警察の連中にダイヤルの一つ欠けた受信機に気付かれ、不利な探索の行われるのを恐れたので、そのあとには同じ形の新しいダイヤルをつけて置いたのです。これが反って私に発見されたことになったじゃありませんか。――そして隠れたダイヤルの裏には、その男の指紋がありありと残っています。恐ろしい犯人の名は、勝見伍策と名乗る奴です」
「それでは、あの勝見さんが、犯人なのでございますか。しかしあの方は、姉の死には無関係だと伺いましたが……」
「そうです。本当の勝見伍策は、たしかに殺人犯人ではありません。そしてたしかに彼は島に暮しています」
「では、家に居るのは本当の勝見ではなかったのですか、まア……。しかし一体あれは誰でございましたかしら」
「お嬢さんは勝見が笛吹川画伯の屍体に附き添い、赤耀館を出て行ったのを御存知ですか。あの時までの勝見伍策は、正真正銘の本人でした。あれから五日ほどのちに帰って来た勝見、そして、丈太郎氏の死後に暇を貰って行ったまでの勝見は、全く偽物《にせもの》なのです」
「まア偽せの勝見でしたか。ではもしや……」百合子は言葉のあとを濁して、恐ろしそうに身震いをしたのでありました。
「そうです。あれは笛吹川画伯の変装だったのです」
「それでは笛吹川さんは、あのとき亡くなったのでは無かったのですか。それが今日まで、どうして知れなかったのでございましょう。あたくし、一寸信じられませんの」
「笛吹川という男は、世にも恐ろしい殺人鬼です。あいつは殺人の興味ために、あらゆる努力と、あらゆる隠忍とを惜しまない奴でした。心臓麻痺で死んだと見せかけたのは、彼が印度の行者から教わり、古書の中を漁《あさ》って研究した仮死法なのです。お通夜の夜、本物の勝見の手で彼奴はなんの苦もなく生きかえったのでした。私がそれを発見したのは、今戸の瑞光寺に埋葬してあった笛吹川の骨を掘り出したことに始ります。見れば壺の中に収められた骨は灰のように細いので、これは変だなと思ったのです。私はそれから日暮里の火葬場に行き、作業員の機嫌をいろいろととって見た上で、笛吹川の死体火葬当時のことを思い出して貰いました。笛吹川のことを思い出して呉れる特徴を彼等の前に提供することができたため、とうとう大変参考になる怪事実を知ることが出来たのです。作業員の話によると、骨の大きさから推して考えると笛吹川の身長は五尺以下であったそうで、その一事だけでも五尺六寸もある彼の身体が焼かれたのでないことが判ります。猶その上に、彼の骨は余りに焼けすぎてしまって、作業員が手にとると粉々に形を失ってしまうのでした。そんな実例は全く今までに見たことがなかったと、五十年もあの火葬場に居る留さんという爺さんが語りました。これから察するところ、笛吹川はどこかの医学校の標本室から、骨骼《こっかく》を盗み出して来て、彼自身の身代りとして棺中に収めたのでしょう。ここいらも、彼の周到な注意ぶりが窺われます。
 それから笛吹川の驚くべき陰謀としては、例の勝見伍策が、彼に全く酷似《こくじ》した容貌や背丈をもっているのを発見して巧く手なずけたのです。勝見は既に彼自身が病気に罹《かか》っているところから、今後の彼の生活を保障して貰うのを交換条件として、笛吹川の意志に従ったのです。笛吹川は顎鬚を剃りおとし、髪かたちから風貌までを整えて笛吹川の死後、五日目に赤耀館へのりこんだのです。それからのちのすべては、いと安々と彼の希望どおりに運んで行きました。綾子夫人も彼の執念ぶかい好色から手に入れてしまうことも出来ましたし、夫人の手を経て恋敵である丈太郎氏を殺し、嫌疑が夫人にかかるように計画したこともその通りに成功しました。彼が暇をとると、勝見を某所の温泉から島の療養所に移して巧みに勝見という人間の行動を不連続にならぬようはからったのです。夫人のヒステリーの昂《こう》じたころ、築地のホテルへ誘き出し、前代未聞の恐るべき手段を用いて夫人を殺しました。詳しいことを説明するのを憚《はばか》りますが、その夜、夫人が満悦したエクスタシーののち、恐らく笛吹川に渇《かつ》を訴えたのでしょう。笛吹川はそのとき自ら口移しに夫人にレモナーデ水を与えました。何もしらぬ夫人は、灼けつくような渇《かわ》きを医《いや》すため、夢中になってその甘酸っぱい水をゴクリと咽喉《のど》にとおしたとき、青酸加里のカプセルは笛吹川の口を離れて夫人
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