引きはがすほどの徹底さを以て探査をすすめられた結果、数束の嫂へあてた手紙が悉《ことごと》く其の筋へ押収せられました。中でも尾形警部が、特に注意して読んだものは、兄丈太郎から貰ったものの外に、笛吹川画伯、勝見伍策、それから私からの手紙でありました。
 嫂の屍体は、入念に法医学教室で解剖に付せられましたが、消化器と循環器との系統のものは、どんな微細な点までも、剖検《ぼうけん》されたのです。
「お嬢さん、今度はすこし手応《てごた》えがあったようですよ」と尾形警部が、心持ち顔を明るくしながら言ったことです。「お姉様の死は、疑いもなく青酸中毒から来ているのです」
「青酸中毒でございますって? では姉は殺されたので御座いますか、それとも自殺でございましょうか」百合子は身を震《ふる》わせながら警部の言葉を待ちました。
「他殺か自殺か、それは未だ残された問題なのです。ですが解剖の結果、青酸中毒の反応が充分出て来たことと、青酸加里を包んであったらしいカプセルの一部が胃の中に発見せられました。それからお姉様の枕頭にはレモナーデのコップがあったのです。覚えていらっしゃいますか、お兄様の死体の側にもレモナーデのあったことを。それから、これは一寸お嬢様には申し上げ悪《にく》いことなのですが、お姉様のおやすみになった寝台には何者か男性がいたことが確認されました。しかしホテルの方では、お姉様はたしかに人をお待ちのようでしたが、その人は遂に来なかったらしいと申しています。恐らく、男はその旅館の中に、知らぬ顔をして泊っていたのでしょう。しかし自殺か他殺かは、前にも申した通りわかっては居りません。只今は、極力、お姉様と一夜を共にした男を捜査中でございます」
「では、兄も青酸で死んだのでございましょうか」
「恐らくそうであろうと思います。この方も改めて調べて見たいと思うのですが、その前に是非お訪ねしたいのは、勝見伍策とお姉様の関係について、御存知の事実をお話し下さいませんか。いや、もう大体の見当は、お姉様の室にあった手紙から判っているのですが……」それは警部の嘘であった。
 百合子は、すっかりその手に乗せられて、嫂が兄の死後、勝見にたよっていたこと、又勝見が深夜に嫂の室を訪ねるのを見たことなどをうちあけてしまいした。警部は満悦そうに頷《うなず》き乍ら、
「お兄様の御生前には、そうしたことをお気付きでありませんでしたか」
「疑えば疑えないでもありませんが、よくは存知《ぞんじ》ません。唯、兄と姉とが、勝見のことで変に皮肉な言葉のやりとりをしているのを一二度、耳にしたことがございました」
「いや、よく判りました。おっつけ勝見を呼び出しますから、一層事実がわかることでしょう」
 尾形警部は、その上で、笛吹川画伯や兄や私について、詳細をきわめた質問をしたそうです。百合子は、これから力になって貰いたいと思う勝見に、香《かんば》しくない疑惑のあるのを情けないことに思いました。この上は、もはや、印度《インド》洋あたりを航海している筈の私の帰朝の一日も早いことを祈らずにはいられなかったのです。しかし彼女は始めて私に会うわけなのですから、私という男がどんな人間であるかも判りかね、幾分の不安を伴うのでありました。
 尾形警部は勝見の引致が大変手間どれるのに苛々していました。警部は、勝見を兄夫妻殺しの犯人と睨《にら》んでいたのでした。ホテルで嫂と一夜を明かしたものは、勝見であるに違いはないのです。勝見を訊問することにより笛吹川画伯の頓死に溯《さかのぼ》り、赤耀館事件の一切が明白になると考えて、夜の目も睡られぬほどに興奮していました。
 ところが予定よりも数日おくれて、勝見を迎えにやった腕ききの刑事が、狐につままれたような顔をして尾形警部の前にぼんやり立ちました。
「どうしたんだ、勝見はどうしたんだ?」尾形警部は気の短かそうな声を張りあげたのでした。
「どうもおかしなことになりました。私は早速《さっそく》、彼奴の郷里である岡山県のS村に行きましたが、彼奴の居所がさっぱりわからないのです。村の人達にきいてやっと知れたことは、勝見は病気のため村を去ったそうです」
「病気? そしてどこへ行ったのか?」
「村人の話では、肉腫《にくしゅ》が出来ていたそうで、実に気の毒なことだと言っています。行先は村役場できくことが出来ましたが、K県の管轄になっている孤島であります。療養所が設けられてあるところだそうです。私は思い切ってその島を尋ね、勝見に会って来ましたが、気の毒なものです。しかし勝見の写真で見覚えのある面影があった上に、赤耀館のことも何から何までよく知っていましたから、勿論勝見に違いありません。そんなわけで彼奴をひっぱって来ることは、絶対に不可能なんです。それにひっぱって来たって駄目なことが判りまし
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