任であった人です。
 貴方の異常な熱心さと、私の傾きかけた健康状態とが、とうとう今夕の機会を作りあげて呉れました。もはや御察しのとおり、あの赤耀館事件には、発表されていない怪事実が二重にも三重にもひそんでいるのでして、それを本当に知っているのは、私一人に違いないのです。実を言えば、私自身すら、まだはっきりと知ることの出来ない事件の一部分があるのではないかと思うのですが、それは多分、此の種の魅惑《みわく》に満ちた事件が発散する香気のようなものに過ぎないのでしょう。兎《と》も角《かく》も、赤耀館事件につき最も多くの事実を知っている者は、私を除いて外に絶対にあり得ないのですから……。
 この赤耀館という洋館は、誰が建てたものであるか、年代はいつ頃だったのか、それは不思議にも薩張り判っていません。しかし何でも大変古い赤煉瓦を使った洋館であることと、設計者が仏蘭西《フランス》人らしいということは噂になっています。出来たのは多分明治の初年か、またはもう二三年も前だろうと思われますが、そのころこの周辺は今よりも更に更に草深いところであって、其の当時、どうして人間が住むことが出来たろうかと、寧《むし》ろ不思議にたえません。その赤耀館を私の祖父に当る松木龍之進が大警視時代にどうしたものか手に入れてしまったのです。それは今から五十年も前のことなのです。勿論、自分のものにはしたものの、この中に住もうなどとは思っていませんでした。私の父の龍太の時代になって、東京が郊外に膨脹をはじめ、電車もひけるようになってから、初めて松木家の全家族がここに移り住むことになったのです。
 しかしそれからというものは松木家には不思議な魔の手が伸びたらしく、母が死ぬ、父が続いて亡くなる、妹が死ぬといった風でした。父は一人児だったし、母の里にも誰も生きのこっては居なかったので、私達の一家は全く心細い限りでした。不思議なことに、先代の赤耀館主人であった私の亡兄丈太郎の妻、つまり私にとっては嫂《あによめ》にあたる綾子《あやこ》も、係累《けいるい》の少い一人娘だったのです。嫂には姪《めい》に当る梅田百合子というのが唯一の親族でした。この百合子は、実は私の妻になっているのです。
 父母と妹とが亡くなってから此方十年あまりと言うものは、私達一家は割合に呑気に、そして幸福に暮していました。兄が前に申した綾子と結婚すると、私は
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