。執事は笛吹川画伯の世話で、赤耀館に勤めるようになった関係上、それからまた、画伯に縁者のないため死後の後始末をして来るため、このところ数日の暇を貰って行ったのです。
赤耀館では其夜も更けて一時とも覚しき頃、今夜は帰って来ないと思われた手伝いの伴造がひょっくり裏門から入って来ました。翌朝になって其の報告をするとて、兄夫妻の前に出て来た伴造は、昨夜の様子をこんな風に語りました。
「笛吹川さんのお家は、迚《とて》も淋しいところでがす。あたりは三方、大きな蒲《がま》の生えている沼でしてナ、その一方には、崩れかかったような家が三軒ばかり並んでいるのでさア。笛吹川さんのお家は一番奥にありまして、これは門もついて居り、古いけれど一寸|垢《あか》ぬけのした家です。
あの方は画かきだとばかり思っていましたが、中々勉強もなさると見えて、どの壁も本棚でギュウギュウ言っているんです。お通夜《つや》に来た、ご近所の三人の人たちも、こんなに本のある家は、見たこともない。上野の図書館とかにでも、真逆《まさか》、この倍と本があるわけじゃなかろう、と言っていましたよ。こんな勉強をなさる方が亡くなったのは、全く惜しいものだ、これはきっと勉強がすぎたんだろう、ずいぶん夜も遅くまで御勉強のようでしたからな、と其の人達は言ってましたよ、へえ。
今夜は是非、お通夜をしましょう、という話でしたが、勝見さんが、わしにもう九時だから、けえれ、けえれと言うのです。わしも通夜するだと言いましたけンどな、勝見さんはそいじゃお邸が不用心だからどうしても帰って呉れと言うのでがす。じゃ帰ることにしようと、尻を持上げましたがナ、今度は勝見さんが近所の人に、引取って呉れ引取って呉れと言ってましたよ。勝見さんは、あんな淋しい処で、死人と一緒に居て怖がらないんですぜ、わしなら、真平御免でがす」
伴造から勇気を推奨せられた執事の勝見は五日経って、十五日に邸へかえって来ました。すこしやつれた様子だったが、元気はよかったのです。いつもよりハキハキと用事を勤めているように見えましたが、兄の眼には、勝見の態度が、反って変に白々しく映《うつ》ったのでした。自分が短刀を持っていたのを殺意ありと解した勝見は、それ以来、自分を敬遠しているのに違いあるまいと思われたのです。勿論勝見は其の夜のことを再び口にしなかったし、兄も言い出しはしなかった。兄
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