て、外にはないようです」
「どんな風に倒れましたか」
「すこし興奮した様子で、安楽椅子から立ち上りましたが、ウンと言うなり床の上に倒れたのです。その時、卓《テーブル》を倒したものですから、その上に載っている茶碗などが壊れてしまいました」
「対談中、だれかこの部屋に入って来たものはありませんか」
「執事の勝見が案内して来たのと、姪の百合子がお茶などを運んで来たきりでした」
「貴方が中座されたようなことはありませんか。又は画伯のことでもいいのですが」
「私は中座しなかったように思います。画伯も中座しなかったろうと思いますが、よく気をつけていませんでした」
「よく気をつけていなかったとは、どういう意味ですか」
「一寸しらべものをやっていたので、注意力が及ばなかったかも知れないというのです」
「対談中、お仕事をなさっていたのですナ」
「まア、そうです」
「お話はどんな種類のことですか」
「そ、それは、まア早く言えば僕等の新婚生活をひやかしていたのです」
「ハア、なるほどそうですか。奥様はどちらにいらっしゃいますか」
「一寸おひるから友達のところへ出掛けましたがネ、もう帰って来る頃でしょう」
「いや、どうもお手数をかけました」
尾形警部は、執事と百合子とを呼び出して兄と笛吹川画伯対談の様子を一寸訊問すると帰って行きました。彼等はつまらぬ係《かかわ》り合《あい》になってはと思ったものか申し合わせたように兄と笛吹川画伯との争論を耳にしたことは言いませんでした。警部が帰ると入れちがいに嫂が入って来ましたが、思いがけなくこの事件のことを聞いたものと見えて、真蒼《まっさお》な顔をしていました。
「あなた、笛吹川さんが此処へいらしって、頓死なすったんですって? 本当ですか」
「嘘にも本当にも、先生あすこに眠っているよ」と隣室の寝台を指しました。
「眠っている! 死んだのではないのですか」
「いや死んだのです。心臓麻痺だとサ」
「心臓麻痺だと言いましたか。笛吹川さんは何時此処へいらしって」
「三時過ぎだったよ、どうして」
「ハア――なんでもないのよ」
笛吹川画伯頓死事件は、こうして片付きました。夜に入ると匆々《そうそう》、画伯の屍体は、寝台車に移し、赤耀館からは四里も先にある、隅田村の画伯の辺居へ送りとどけることにしました。ついて行ったのは、執事の勝見と、手伝いの伴造との二人だけでした
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