」若き女性は云った。
「そうです、深山ですが……」
「あたくし、理科三年の白丘《しらおか》ダリアです。先生のところで実習するようにと、科長《かちょう》の御命令で、上りましたのですけれど」
「ああ、実習生。――実習生は、君だったんですか。じゃ入りなさい」
男の学生だと思っていたのに、やって来たのは、意外にも女学生だった。しかし何という逞《たく》ましい女性なんだろう。近代の女性は、スポーツと洋装とのお蔭で、背も高くなり、四肢《しし》も豊かに発達し、まるで外国婦人に劣らぬ優秀な体格の持ち主になったという話だったが、それにしてもこの健康さはどうだ。これが女性というものなんだろうか。深山理学士は早くもこのピンク色の物体が発散《はっさん》するものに当惑《とうわく》を感じた。
「ダリアという名前だが」と学士は訊《たず》ねた。
「失礼ながら君は混血児なのかい」
「まあ、いやな先生!」彼女は仰山《ぎょうさん》に臂《ひじ》を曲げ腰をゆがめてカラカラと笑った。「これでも日本人としては、純種《サラブレッド》ですわヨ」
「純種《サラブレッド》か! イヤ僕は、君があまりにデカイもので、もしやと思ったんだよ」
「先生は、小さくて可愛いいんですのネ」彼女は肥った露《あらわ》な二の腕を並行にあげて、取って喰うような恰好《かっこう》をしてみせた。
そんなことから、先生の深山理学士と生徒の白丘ダリアとは、何でもずかずかと云い合う間柄《あいだがら》になった。しかしこの少女が、まだ十八歳であるとは、学士の容易に信じかねるところであった。
赤外線研究室は、この先生と生徒とによって、昼といわず夜といわず、乱雑にひっかきまわされた。精密な部分品が、さまざまの実験を経《へ》て一つ又一つと組立てられていった。二人の熱心さは大変なものだった。入口の扉《ドア》にはいつものように鍵がかかっていた。食事を搬《はこ》んでくるときと、白丘ダリアが夜更《よふ》けて自分の住居へ帰るときの外は、滅多《めった》に開《ひら》かれはしなかった。深山理学士は独り者の気楽さで、いつもこの研究室に寝泊りしていた。
「アラ先生、まあ面白いことを発見しましたわ」ネジ廻しを握って、器械のパネルに木ネジをねじこんでいたダリアが、頓狂《とんきょう》な声を張りあげた。
「どうしたんだい」深山学士は増幅器《ぞうふくき》の向うから顔を出した。
「とても面白いですわ。先生のお顔を右の眼で見たときと左の眼で見たときと、先生のお顔の色が違うんですわ」
「変なことを云い出したネ」学士は自分の顔色のことを云われたので鳥渡《ちょっと》いやな顔をした。
「右の眼で見たときよりも、左の眼で見たときの方が、先生のお顔が青っぽく見えますのよ」
「なアーんだ、君。色盲じゃないのか。ちょっとこっちへ来て、これを見給え」
学士はダリアを引っぱって、色盲検査図の前につれて来た。それは七色の水珠《すいじゅ》が、円形《えんけい》に寄りあっているのだが、色の配列具合によって、普通の視力をもっているものには「1」という数字が見える場合にも、色盲には「4」と見えたりするという簡単な検査図だった。ダリアの眼を、片っぽずつ閉《と》じさせて、沢山ある検査図を色々とめくって調べてみた。しかし結果はどういうことになったかというのに、ダリアは色盲ではないということが判明したのだった。
「色盲でも無いようだが……気のせいじゃないか」
「いいえ、気のせいじゃないわ。先生がどうかしてらっしゃるんじゃなくって?」
「莫迦《ばか》云っちゃいかん。君の眼が悪いのだよ。説明をつけるとこうだ。いいかい。君の右の眼と左の眼との色の感度がちがうのだ。今の話だと、君の左の眼は、青の色によく感じ、右の眼は赤の色によく感ずる。両方の眼の色に対する感覚がかたよっているんだ。それも一つの眼病《がんびょう》だよ」
「そうでしょうか、あたし困ったわ」と白丘ダリアは一向困ったらしい様子も見せずに云った。「ンじゃ先生、あたしが今|視《み》ている右の眼の風景と、左の眼の風景と、どっちの色の風景が本当の風景なんでしょうか。どっちかの眼が本当のものを見て、どっちかの眼が嘘を視ているのですね」
「そりゃ困った質問だ」と今度は深山理学士の方が本当に弱ってしまった。「どうも君の網膜《もうまく》のうしろに僕の眼をやってみることも出来ないからネ」
そういって理学士は考え込んだ。
こんな調子で、二人はいつの間にか十年の知己《ちき》のようになってしまった。
白丘《しらおか》ダリアの入所後《にゅうしょご》はやくも五日のちには、赤外線テレヴィジョン装置がもう一と息で出来上るというところまで漕《こ》ぎつけた。
ところが其《そ》の朝に限って、いつもなら午前七時には必ず出てくる筈《はず》の白丘ダリアが、十時になっても姿を現
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