田とかいう男ではなくて、小山田夫人静子その人だった。夫人の変態性《へんたいせい》がこの手紙を書かせ、夫との夜の秘事に異常な刺戟《しげき》を与えたというのでした。――私の妻《あれ》は、最後にこんなことを訊《き》いたことを覚えています。『このような脅迫状が、静子さん自身の手によって書かれたわけなら、静子さんは別に何とも恐ろしくはなかった筈《はず》です。しかしもしあの手紙が、本当に見も知らない人の手によって書かれたものだったとしたら、静子夫人の駭《おどろ》きは、どんなだったでしょうね』と、まアこんな意味のことを云ったことがあります。私は莫迦《ばか》なことを云いだす奴じゃのうと、笑ってやったんです。しかし今となって思えば、あれも失踪の謎をとく一つの鍵のような気がしてなりません」
 係官は、伯父の話に大変興味を持ったようだった。二人がもう席を立とうというときに一人の警官が円《まる》い小箱《こばこ》をもって来て、これに何か見覚えがないかと差し出した。それは茶色の硝子屑《ガラスくず》のようなものであった。勿論《もちろん》二人には思いもよらぬ品物だった。
「こんなになっているから判らないかもしれないが」と其の警官が云った。「これは映画のフィルムなんですよ。しかもそのフィルムが燃焼《ねんしょう》を始めたのを急にもみ消したとでも云いましょうか、フィルムの燃え屑なのです。それでも心当りがありませんか」
 それは二人にとって更《さら》に見当《けんとう》のつかないことだった。話はそれまでとなって、白丘ダリアと伯父とは、警視庁を辞去《じきょ》した、というのであった。
「一体その伯父さんというのは、何という方なのかネ」学士が尋《たず》ねた。
「黒河内尚網《くろこうちひさあみ》という是《こ》れでも子爵《ししゃく》なのですよ。伯母の子爵夫人というのは、京子といいました」
「黒河内京子――君の伯母さんか」
「先生、伯母をご存知ですの」
「なアに、知るものかネ」学士は強く首を左右に振った。「さあ、今日は遅れたから、急いで組立てにとりかかろう」
 そういって深山理学士は実験衣を拾いあげると、洋服の袖《そで》をとおした。そのときポケットから、四角い封筒がパラリと床の上に落ちたのを、学士は気付かなかった。
 ダリアの眼は悪戯者《いたずらもの》らしく爛々《らんらん》と輝いた。太い腕が、その封筒の方へニューッと延
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