さ》げ用のエレヴェーターがあって、その周囲は厳重な囲《かこ》いが仕切られて居り、その背面には、青いペンキを塗った大きな木の箱があって、これにはバケツだとかボロ布《きれ》などの雑品が入っているのだが、その箱の上を利用して新聞雑誌が一杯拡げられ、傍《そば》に青い帽子を被《かぶ》った駅の売子が、この間に合わせながら毎日規則正しく開かれる店の番をしている。
このエレヴェーターとレールとの間のホームの幅《はば》は、やっと人がすれちがえるほどの狭さであるが、その通路にはエレヴェーターを背にして駅の明《あ》いているうちは不思議にもきまって、必ず一人の若い婦人が凭《もた》れているのだ。その婦人は電車の発着に従って人は変るけれど、其《そ》の美しさと、何となく物淋しそうな横顔については、どの女性についても共通なのであった。この神秘を知っている若いサラリーマン達の間には、このエレヴェーター附近を「佐用媛《さよひめ》の巌《いわ》」と呼び慣わしていた。かの松浦佐用媛《まつうらさよひめ》が、帰りくる人の姿を海原《うなばら》遠くに求めて得ず、遂に巌《いわ》に化したという故事《こじ》から名付けたもので、その佐用媛に似た美しさと淋しさを持った若い婦人がいつも必ず一人は居るというのであった。
その午前十時半にも確かに一人の佐用媛が巌ならぬエレヴェーターの蔭に立っていた。鶯色《うぐいすいろ》のコートに、お定りの狐《きつね》の襟巻《えりまき》をして、真赤《まっか》なハンドバッグをクリーム色の手袋の嵌《はま》った優雅な両手でジッと押さえていた。コートの下には小紋《こもん》らしい紫《むらさき》がかった訪問着がしなやかに婦人の脚を包み、白足袋《しろたび》にはフェルト草履《ぞうり》のこれも鶯色の合《あ》わせ鼻緒《はなお》がギュッと噛《か》みついていた――それほど鮮かな佐用媛なのに、そのひとの顔の特徴を記憶している者が殆んど無いという全くおかしな話だった。尤《もっと》もホームは至って閑散《かんさん》で、そんなことには超人的な記憶力をもっている若い男たちが、幸か不幸かその近所に居合わさなかったせいにもよるだろう。そこへ上りの品川《しながわ》廻《まわ》り東京行きの電車がサッと六番線ホームへ入って来た。運転台の硝子《ガラス》窓の中には、まだ昨夜の夢の醒《さ》めきらぬらしい、運転手の寝不足の顔があった。
「呀《あ》ッ!
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