》をしていた。
漢青年は、退屈を感じて、医師の顔ばかりみていた。ことにそのよく動く唇を呆《あき》れて眺めていた。
(これは変だな)
と、漢青年は胸のなかで呟《つぶや》いた。寝台の下でガーゼを絞《しぼ》っている医師の目は、何事かを彼に訴えるかのように、動いていた。そこの場所では、漢青年の脚を抑えている孫と王の視線が、全く届かないところだった。
怪しい医師は、警告の目付をしたあとで、唇をビクビクと動かせた。
漢青年は、しばらくその唇の動くのを見ていたが、
(呀《あ》ッ)
とばかりに、心中驚いた。それというのが、この怪しい医師の唇は、煙草を噛んでいると見せかけて、唇の運動がモールス符号をうっているのだった。それを一々判読して綴《つづ》ってみると次のような文句になった。
「シュジュツゴ、ガーゼヲトッテ、テガミヲミヨ」
「手術後、ガーゼを取って、手紙を見よ」この信号は、繰返《くりかえ》し発信されたのだった。
口の利けず、耳の聞えない医師は、最後に大きいガーゼをあてて、その周囲を絆創膏《ばんそうこう》で止めると、遂に一語も発しないで、部屋を出ていった。孫も王も、医師を見送るためにこの室から出た。
漢青年にとって、チャンスは今だった。
彼は手を伸ばすと、ガーゼを掴んだ。手を動かす練習をもうすこし遅く始めたのだったら、彼はこのチャンスを、むざむざと逃《の》がしたかも知れないのだ。
ガーゼの中には、果して小さく折った紙片《しへん》が入っていた。彼は口も使って苦心の結果、その手紙というのを開くことに成功した。そこには、漢青年の脳髄を痺《しび》らせるほどの重大なことがらが認《したた》めてあった。
「今夜、電燈の消えるのを合図に、天井の硝子《ガラス》板を破って、脱《のが》れいでよ」
漢青年は、三度ほど読みかえすと、その紙片を丸めて、ポンと口の内へ入れて、呑みこんだ。
脱走せよ、という者がある。何者とも知れない。しかしこれも「死後の世界」に於ける幻想であろうか。
これが生きているのだったら、軽々しい行動は考えなければならない。しかし、どうせ死んでいるものなら、二度と死ぬことはないだろう。無聊《ぶりょう》に困っている自分のことだ。ではやっつけろ――漢青年は決心した。
だが、今はまだ日中《にっちゅう》である。西湖の方を眺めると、湖面がキラキラと光っている。屋根の硝子天井
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