の坂は、そのあたりから急に傾斜がひどくなって、足が自然に動かなくなる。そのうえに、路がだんだん泥濘《ぬか》ってきて、一歩力を入れてのぼると、二歩ズルズルと滑りおちるという風だった。それを傍《そば》の棒杭《ぼうぐい》に掴《つかま》ってやっと身体を支え、ハアハア息を切るのだった。気がついてあたりを見廻わすと、こわそも如何に、高野山《こうやさん》に紛《まぎ》れこんだのではないかと駭《おどろ》くほど、杉や欅《けやき》の老樹《ろうじゅ》が太い幹を重ねあって亭々《ていてい》と聳《そび》え、首をあげて天のある方角を仰いでも僅か一メートル四方の空も見えないのだった。そして急に冷《ひ》え冷《び》えとした山気《さんき》のようなものが、ゾッと脊筋《せすじ》に感じる。そのとき人は、その急坂《きゅうはん》に鼠の姿を見るだろう。その鼠は、あの敏捷《びんしょう》さをもってしても、このぬらぬらした急坂を駈けのぼることができないで、徒《いたずら》にあえいでいる――これが鼠坂《ねずみざか》という名のついたいわれであった。
この坂の、のぼることも降りることも躊躇《ちゅうちょ》される、その中途に、さらに細い道が横に切ってあって、その奥に朽《く》ちかかった門柱が見える家があった。その家の門は、月のうち、二三日を除いて、滅多《めった》に開かれることがなかった。門の鈴がリリリンと冴《さ》えた音をさせる日は、大抵《たいてい》月の上旬にきまっていた。もし気をつけて垣の間から窺《うかが》っているならば、訪客は夜分《やぶん》にかぎり、そして年齢のころは皆、四十から下の比較的わかい男女であって、いずれも相当の身姿《みなり》をしていることが判ったであろう。
帆村探偵も、その夜の客に交《まじ》っていたのだった。
彼は階下の待合室で、順番を待っていた。一座には、袴《はかま》をはいて頤《あご》の先に髯《ひげ》を生やしている男が、しきりに心霊《しんれい》の物理学について論じていた。その隣りには、半年前に夫を喪《うしな》ったというまだ艶々《つやつや》しい未亡人だの、その姪《めい》にあたるという若い女だのが居流《いなが》れていた。帆村はひとり離れて下座《しもざ》にいた。手を伸ばすと、寒そうに光っている廊下が触《ふ》れる。その廊下を出ると幅の狭い段梯子《だんばしご》が、二階へつづいていた。
「ボワーン」
と小さい銅鑼《どら》をう
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