《はらわた》」なるものがどろんとよどんでいる。
「あ、生きているぞ」
薄紫色の腸《はらわた》が、よく見ると、ぐにゃりぐにゃりと動いている。リンゲル氏液の中で、蠕動をやっているのであった。
生きている腸《はらわた》!
医学生吹矢[#底本では「医学当吹矢」と誤り]が、もう一年この方、熊本博士に対し熱心にねだっていたのは、実にこの生きている腸《はらわた》であった。他のことはききいれても、この生きている腸《はらわた》の願いだけは、なかなかききいれなかった熊本博士だった。
「なんだい、博士。お前のところには[#底本では「お前のところは」]、男囚が二千九百名もいるんじゃないか。中には死刑になるやつもいるしさ、盲腸炎になったりまた変死するやつもいるだろうじゃないか。その中から、わずか百|C・M《ツェーエム》ぐらいの腸《はらわた》をごまかせないはずはない。こら、お前、いうことをきかないなら、例のあれをあれするがいいか。いやなら、早く俺のいうことをきけ」
などと恐喝、ここに一年ぶりに、やっと待望久しかりし生きている腸《はらわた》を手にいれたのであった。
彼はなぜ、そのような気味のわるい生きている腸《はらわた》を手に入れたがったのであろうか。それは彼の蒐集癖を満足するためであったろうか。
否!
リンゲル氏液内の生態
生きている腸《はらわた》――なんてものは、文献の上では、さまで珍奇なものではなかった。
生理学の教科書を見れば、リンゲル氏液の中で生きているモルモットの腸《ちょう》、兎の腸《ちょう》、犬の腸《ちょう》、それから人間の腸《ちょう》など、うるさいほどたくさんに書きつらなっている。
標本としても生きている腸《ちょう》は、そう珍らしいものではない。
医学生吹矢が、ここにひそかに誇りとするものは、この見事なる幅広の大|腸《ちょう》が、ステッキよりももっと長い、百|C・M《ツェーエム》もリンゲル氏液の入った太いガラス管の中で、活撥な蠕動をつづけているということであった。こんな立派なやつはおそらく天下にどこにもなかろう。まったくもってわが熊本博士はえらいところがあると、彼はガラス管にむかって恭々しく敬礼をささげたのだった。
彼は生ける腸《はらわた》を、部屋の中央に飾りつけた。天井から紐をぶら下げ、それにガラス管の口をしばりつけたものであった。下には、ガ
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