というのは、生ける腸《はらわた》に対する愛称であった。
そういって吹矢が、砂糖水を湛えてある平皿のところで手を鳴らすと、チコはうれしそうに、背(?)を山のように高くした。そしてチコに食欲ができると、彼の生き物はひとりでのろのろと平皿の[#底本では「灰皿の」]ところへ匍ってゆき、ぴちゃぴちゃと音をさせて砂糖水をのむのであった。その有様は、見るもコワイようなものであった。
かくて医学生吹矢隆二は、生ける腸《はらわた》チコの生育実験をまず一段落とし、いよいよこれより大論文をしたため、世界の医学者を卒倒せしめようと考えた。
ある日――それはチコの誕生後百二十日目に当っていた。彼はいよいよその次の日から大論文の執筆にかかることとし、その前にちょっと外出をしてこようと考えた[#底本では「外出してこようと考えた」]。
いつの間にか、秋はたけ、外には鈴懸樹の枯葉が風とともに舗道に走っていた。だんだん寒くなってくる。彼一人ならばともかくも今年の冬はチコとともに暮さねばならぬので電気ストーヴなども工合のいいものを街で見つけてきたいと思ったのだ。
また買い溜をしておいた罐詰もすっかりなくなったので、それも補充しておきたい。チコのために、いろんなスープをさがしてきてやろう。
彼はこの百数十日というものを、一歩たりとも敷居の外に出なかったのである。
「ちょっと出かける。砂糖水は、隅のテーブルのうえに、うんと作っておいたからね」
彼は急に外が恋しくなって、チコに食事の注意をするのもそこそこに、入口に錠をおろし、往来にとびだしたのだった。
誤算
医学生吹矢隆二は、つい七日間も外に遊びくらしてしまった。
一歩敷居を外に踏みだすと、外には素晴らしい歓喜と慰安とが、彼を待っていたのだ。彼の本能はにわかに背筋を伝わって洪水のように流れだした。彼は本能のおもむくままに、夜を徹し日を継いで、歓楽の巷を泳ぎまわった。そして七日目になって、すこしわれにかえったのである。
チコの食事のことがちょっと気になった。日をくってみると、あの砂糖水はもうそろそろ底になっているはずだった。
「まあ一日ぐらいは、いいだろう」
そう思って彼はまた遊んだ。
その日の夕方、彼はなにを思ったか、足を○○刑務病院にむけた。そして熊本博士を訪問したのであった。
博士は、吹矢があまりに人間臭い人間にか
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