りで云った。
「貴方が見逃しているところを拾って、事件を早く解決したいのです。僕も容疑者の一人だそうですからね。ハッハッ」
 刑事が一人、馳《か》けてきた。
「課長どの、総監閣下のお電話です」
「ナニ総監の……」警部は渋面《じゅうめん》を作った。
「お気の毒ですなア」と戸浪が彼の背中をポンと叩いた。
 総監は果して非常に不機嫌だった。大江山捜査課長は油汗《あぶらあせ》を拭《ぬぐ》う暇《いとま》もなく、水を浴びたような顔をして、縷々《るる》と陳述《ちんじゅつ》した。
「君は、目黒の笹木光吉の情婦《じょうふ》である赤星龍子が本郷《ほんごう》の小柴木《こしばぎ》病院で毎日耳の治療をうけているのを知っているか」と総監が突然言った。
「いや、存じませんが……」警部は耳の治療どころか、龍子が笹木の愛人であることも聞くのが始めてだった。
「そんなんじゃ困るね、君は」と総監のつっぱなすような声が受話器の中に反響した。「それから、戸浪三四郎が元浜松高等工業学校の電気科の先生をしていたことを知ってるか」
「ううウ」と警部は電話機に獅噛《しが》みついて呻《うな》った。「そそそれも存じませんが……」
「……」総監は無言だった。総監も呻っているのであろう。
「総監閣下、失礼ですが、誰がそんなことを申しましたか」
「帆村荘六《ほむらそうろく》氏じゃ、私立探偵の。いま私の邸に見えて居られる」
 帆村荘六といえば、警部は知らぬ人でもなかった。まだ経歴の若い素人探偵だったが、モダーンな科学探偵術をチョコチョコふりまわし、事件を不思議な手で解決するので、少し評判が出てきた人だった。
「君が必要なとき、いつでも応援をして下さるそうだ。今、お願いしておこうか」
「いえ、それには及びません」大江山捜査課長は、泣きだしたいような気持をこらえて、断然《だんぜん》拒絶《きょぜつ》した。


     6


 大江山警部は電話をガチャリと切ると、しばし其の場に立ちすくんだ。考えてみるまでもなく、彼の立場はたいへん不運だった。彼は今度の事件で、どうしたものか、犯人の目星を一向につけることができなかった。昨日今日の事件ではあるが、林三平、倉内銀次郎、戸浪三四郎、赤星龍子、笹木光吉と疑いたい者ばかり多いくせに、犯人らしい人物を指すことができないのだった。唯今の総監の言葉から思いついたことは、電気の先生だった戸浪が相当《そうとう》頼母《たのも》しい探索をしていてくれるから、彼と同盟すれば、大いに便宜《べんぎ》が得られるであろうという見込みだが、但し戸浪自身が犯人の場合は全く失敗になるわけだった。戸浪に会って気をひいた上で決定しようと考えた。赤星龍子が笹木の愛人であるのは驚いたが、前後二回も、殺人のあった電車にのっていたのは、一寸《ちょっと》偶然とは考えられない。実は先刻部下に命じて置いた龍子の動静《どうせい》報告がきた上で、もすこし詳《くわ》しく考えてみたい。……
 大江山警部は電話のある室を出て、階段をプラットホームに下りながら、懐中時計を出してみた。もう夜も大分《だいぶ》更《ふ》けて、ちょうど十時半になっていた。昨日の今頃突如として起った射殺事件のことを思いだして、いやな気持になった。すると、どこやら遠くで、非常|警笛《けいてき》の鳴るのをきいた、と思った。
 彼は階段の途中に立ちどまった。
「ポ、ポ、ポ、ポッ」
 ああ、警笛《けいてき》だ。紛《まぎ》れもなく、上《のぼ》り電車の警笛だ。次第次第に、叫音《きょうおん》は膨《は》れるように大きくなってくるではないか。彼は墜落《ついらく》するように階段を駆けくだった。そのとき丁度《ちょうど》、叫喚怒号《きょうかんどごう》する人間を積んだ上り電車が、驀地《まっしぐら》にホームへ滑りこんできたのだった。
「やられたかッ」警部は呶鳴《どな》った。
「また若い婦人です」と車掌が窓から叫んだ。
「窓があいているじゃないか、あれほど言ったのに」警部は真赤になって憤慨した。
「エビス駅を出るときには閉っていたんです」
「よォし、では乗客を禁足《きんそく》しとくんだぞ」
「わかりましたッ」
 大江山警部は、若い婦人の屍体《したい》が転《ころが》っているという二輌目の車輌の前へ、かけつけた。窓がパタリと開いて、多田刑事の泣いているような顔が出た。
「課長どの、殺されたのは赤星龍子です」
「えッ、赤星龍子が――」
 総監から注意のあったばかりの女が殺された。警部自身が大きい疑問符を五分ほど前にふったその女が殺されたのだった。警部は車中へ入ってみた。
「課長どの」と多田刑事は警部をオズオズと呼んで、この車輌の一番先端部にあたる左側客席の隅《すみ》を指《さ》した。
「ここの隅ッ子に龍子が腰を下ろしていました。向い側の窓はたしかに閉っていたんですが、ビール会
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