値打《ねうち》のあるものですか」
少年は、老人の義眼を、手のひらの上でころがしてみながら、不審《ふしん》がった。
そのとき滝のひびきの中に、別の物音がはいって来た。ぶーンと、機械的な音であった。春木少年はまだ気がついていなかったが、老人の方が気がついて、びっくりした。
「おお、キヨシ君。悪い奴《やつ》がこっちへ来る。あんたは、早くそれを持って、洞穴《ほらあな》か、岩かげかに早くかくれるんだ。早く、早く。いそがないと間にあわない。そして、空から絶対にあんたの姿が見られないように、気をつけるんだ。さあ。早く……」
「どうしたんですか。そんなにあわてて……」
「わしを殺そうとした悪者《わるもの》の一派が、ここへやって来るのだ。あんたの姿を見れば、あんたにも危害《きがい》を加えるだろう。よくおぼえているがいい。悪者どもが、ここを去るまでは、あんたは姿を見せてはならない。身体を動かしてはならない。あんたは今、わしからゆずられた大切な品物を持っているということを忘れないように。さ、早くかくれておくれ」
老人は、気が変になったように、わめきつづける。
春木少年は、重傷の老人がこの上あんな声を出していたら、死期《しき》を早めるだろうと思った。だから早く老人のいうとおり、岩かげかどっかへかくれるのが、老人のためになると思って、立ち上った。
が、老人にたずねなくてはならないことが、たくさんあった。
「この卵みたいなものをどうすればいいんですか」
「な、中をあけてみなさい。早くかくれるんだ。だんだん空から近づくあの音が聞えないのか。早く、早く」
そういわれて春木少年は気がついた。頭の上からおしつけるような、ごうごうたる物音がしている。でも、もう一つ老人に聞いておかねばならないことがあった。
「おじさん。おじさんの名前は、なんというのですか」
「まだ、そこにぐずぐずしているのか」
重傷の老人は腹立たしそうに叫んだ。
「わしの名はトグラだ」
「トグラですか」
「戸倉八十丸《とぐらやそまる》だ。早くかくれろ。一刻《いっこく》も早く! さもなきゃ、生命《いのち》がない。世界的な宝もうばわれる。早く穴の中へ、とびこめ。あのへんに穴がある。だが、気をつけて……」
老人の声は、泣き叫んでいるようだ。
春木は、今はこれ以上、老人をなやませては悪いと思った。そこで、瀕死《ひんし》の老人の指《さ》した方向へ走った。大きな岩が出ていた。滝つぼとは反対の方だ。
彼が、岩のかげにとびこんだとき、頭上にびっくりするほど大きいものが、まい下《くだ》ってきた。
ヘリコプターだった。竹とんぼのような形をした大きな水平にまわるプロペラを持ち、そして別にもう一つ小さなプロペラをつけた竹とんぼ式飛行機だった。
ヘリコプターは、宙に浮いたように前進を停止し、上下に自由に上ったり、下ったりできる飛行機である。だから、滑走場《かっそうじょう》がなくても飛びあがることができ、またせまい屋上《おくじょう》へ下りることもできる。
そのようなヘリコプターが、夕闇《ゆうやみ》がうすくかかって来た空から、とつぜんまい下りて来たので、春木少年はおどろいた。
なぜであろう。ヘリコプターが、なに用あってまい下りてくるのであろう。
戸倉老人が、恐怖していたのは、そのヘリコプターであろうか。
春木少年は岩かげにしゃがんで、この場の様子《ようす》をうかがった。ヘリコプターは、垂直《すいちょく》に下ってきた。
と、ぱっとあたりが昼間のように明るくなった。ヘリコプターが探照灯《たんしょうとう》を、地上へ向けて照らしつけたのだ。
「あッ」春木少年は、岩にしがみついた。
ぎらぎらと、強い光が、春木少年の左の肩を照らしつけた。
少年は、なんとはなしに危険を感じ、しずかに身体を右の方へ動かして、ヘリコプターの探照灯からのがれようとした。
しかし探照灯は追いかけて来るようであった。
春木は、岩にぴったりと寄りそったまま、身体を右の方へ移動していった。
すると、彼はとつぜん身体の中心を失った。右足で踏んでいた土がくずれ、足を踏みはずしたのだった。そこには草にかくれた穴があった。身体がぐらりと右へ傾《かたむ》く。「あッ」という間もなく、彼の身体は穴の中へ落ちこんだ。両手をのばして、岩をつかもうとしたが、だめだった。
少年の身体は、深く下に落ちていって、やがて底にたたきつけられた。それは、わりあいにやわらかい土であったが、彼はお尻《しり》をしたたかにぶっつけ、「うン」と呻《うな》り声をあげると、気を失った。
気を失った少年のそばに、戸倉老人がゆずり渡した疑問の義眼が一つころがっていた。そして義眼の瞳《ひとみ》は、まるで視力があるかのように、上に丸く開いている空を凝視《ぎょうし》していた。
空中|放《はな》れ業《わざ》
穴の中に落ちこみ、気を失ってしまった春木少年は、その直後に起った地上の大活劇《だいかつげき》を見ることができなかった。
まったく、彼の思いもかけなかったような活劇の幕が、そのとき切って落されたのであった。
ヘリコプターから、とつぜん、だだだだッ、だだだだッと、はげしい機関銃が鳴りだした。弾丸《たま》は、戸倉老人の倒れている身辺《しんぺん》へ、雨のように降りそそいだ。弾丸が地上に達して石にあたると、ぴかぴかッと火花が光り、それが夕暮のうす闇の中に、生き物のようにおどった。だが、弾丸は、戸倉老人のまわりに落ちるだけで、老人の身体は突き刺さなかった。
「うわッ、なんだろう」滝つぼの正面の道路の上に、少年の姿があらわれた。春木ではなかった。牛丸少年であった。彼はようやく生駒《いこま》の滝《たき》の前に今ついたのであった。彼にはまだこの場の事態《じたい》がのみこめていなかった。だから身の危険を感じることもなく、道のまん中に棒立ちになって、火花のおどりを、いぶかしく眺《なが》めたのであった。
が、一瞬ののち、彼は戸倉老人の倒れている姿を認めた。また、つづいて起った銃声のすさまじさによって、はっと身の危険を感じた。
「あ、あぶない」牛丸少年は、身をひるがえすと、かたわらの大きな柿《かき》の木に、するするとのぼった。牛丸は、木登りが得意中の得意だった。だから前後の考えもなく、柿の木なんかによじ登ったのである。それは、彼のために、幸福なことではなかった。
そのときヘリコプターは、戸倉老人のま上まできた。胴《どう》の底に穴があいて、そこから一本のロープがゆれながら、まい下ってきた。
すると、ロープを伝わって、一人の男がするすると下りてきた。そのときロープの先は地上についていた。その男は、カーキ色の作業衣《さぎょうい》に身をかためた男だった。その男も倒れている戸倉老人も共に探照灯の光の中にあった。
老人は、死んでしまったように、動かない。
牛丸少年は、柿の枝につかまって、この有様をびっくりして眺めている。
作業衣の男は、ついに地上に足をつけた。ロープを放して、戸倉老人の方へ走りよった。そして膝をついて老人の身体をしらべだした。彼のために、老人は二三度身体を上向きに又下向きにひっくりかえされた。
しばらくすると、作業衣の男は立上って、手をふって、上のヘリコプターへ、合図《あいず》のようなことをした。ヘリコプターの胴の窓からも、一人の男が上半身を出して、下へ手をふって合図した。
下の男は、分ったらしく、合図に両手を左右へのばした後で、ロープの端を手にとって、戸倉老人に近づくと、老人の身体をロープでぐるぐる巻きにしばりつけた。
それから自分は、老人よりもロープの上の方にぶら下った。
それが合図のように、ロープはぐんぐんヘリコプターの方へ巻きあがっていった。ヘリコプターは、宙に浮いて、じっとしている。この有様を、牛丸少年は、あっけにとられて柿の木の上から見ていた。
ところが、とつぜん作業衣の男が、片手をはなして、牛丸少年の登っている柿の木を指《さ》した。と、ぱっと強い探照灯の光が牛丸少年の全身を照らしつけた。
「うわッ。たまらん」牛丸平太郎は生れつきものおじをしない楽天家であったが、このときばかりは、もう死ぬかもしれないと思った。彼は目がくらんで、呼吸《いき》をすることができなくなった。彼は懸命に、両手と両足で、柿の木の枝にしがみついていた。目は、全然ものを見分ける力がなくなった。
「柿の木の上で、目はみえず」
ヘリコプターの音が遠のいていったのが分ったとき、牛丸は、ひとりごとをいった。俳句になるぞと思った。
このとき、ようやくすこしばかり、ものの形が見えるようになった。
「ひどい目にあわせよった」
彼は、そろそろと柿の木から、すべり下りていった。
牛丸少年は、滝の前に、小一時間もうろうろしていた。もうまっくらな中を、あたりを探しまわった。
「おーい。春木君やーい」と、何十ぺんも、友だちの名を呼んでみた。しかしその返事は、彼の耳に聞えなかった。その間に、彼は、倒れていた人のあとへも行ってみた。そこには、血の跡らしいものが黒ずんで地面を染めているのを見た。
「誰だろう、ここに倒れていた人は」
彼には事情が分らなかった。
ヘリコプターで救助作業をやったのかもしれないが、しかしその前に、はげしい銃声のようなものを聞いた。それを聞きつけたから、彼はびっくりして柿の木へ登ったのだ。彼は後で考えて、「ぼくは、あのときは、なんてあわてん坊であったろう」と苦笑したことだった。
いつまでたっても、春木君がやってこないので、一時間ばかりたった後に、牛丸少年は、ひとりで川を下りていった。
牛丸はなんにもしらなかった、ここにふしぎなことがあった。それは、戸倉老人の身体からはなれてとび散らばっていた老人の帽子も眼鏡も、共にそのあとに残っていなかったことである。
それにしても、重傷の戸倉老人を拾っていった、ヘリコプターに乗っていた者は、何者であったろうか。
老人を救助に来た者だとは思われない。もし救助に来た者ならば、老人は春木少年の前であのように恐怖してみせるはずはないのだ。
すると、あのヘリコプターは、戸倉老人のためには敵手《てきしゅ》にあたる連中が乗っていたものであろうか。
この生駒の滝を背景とした血なまぐさい謎《なぞ》にみちた一幕《ひとまく》こそ、やがて春木清が少年探偵長として全世界へ話題をなげた奇々怪々なる「黄金《おうごん》メダル事件」へ登場するその第一幕であったのだ。
穴からの脱出
岩かげの穴の中に落ちこんだ春木少年は、まだ牛丸君がその附近にいた間に、われにかえることができた。
彼は、牛丸君が自分を呼ぶ声をたしかにきいた。そこで彼は、穴の中で返事をしたのである。いくども牛丸君の名を呼んで、自分がここにいることを知らせたのである。しかし牛丸君は、ほかの方ばかりを探していて、春木が落ちこんでいる穴の上には近よらなかった。
そのうちに牛丸は、あきらめて、生駒の滝の前をはなれ、ふもとへ通ずる道をおりていった。
あとに残されて穴の中にひとりぼっちになった春木のまわりはだんだん暗くなってきた。彼は、お尻をさすりながら、あたりを見まわした。
「あッ、あの球《たま》だ」彼は、そばに戸倉老人の義眼《ぎがん》が落ちているのを見つけると、あわてて拾いあげた。
「何だろう。ふしぎなものだなあ。おやおや、目玉みたいだぞ。こっちをにらんでいる。ああ気味《きみ》がわるい」
あまり気味がわるいので、彼はそれをポケットの中へしまった。
「さあ、なんとかして、この空《から》っぽの井戸からあがらなくては」
見ると、空井戸《からいど》の底には、横向きの穴があった。人間がやっとくぐってはいれるほどの穴だった。しかし、気味がわるくて、春木ははいる気がしなかった。彼は立上った。そして上を向いていろいろとしらべてみたが、そこには上からロープもなにも下っていなかった。深さは十四五メートルらしい。
「土の壁が上までやわらかいといいんだがなあ。そしてなにか土を掘るもの
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