しようもない。
 牛丸平太郎は、みんなにかわいがられていた少年だから、この誘拐《ゆうかい》事件の反響も大きかった。ことに、その前に春木君が山の中で、行方不明になった事件のとき、牛丸君が誰より早くこれを知らせたことで、牛丸少年を知っている人は多かった。
 春木としても、一番仲よしの友だちを、そんなひどい目にされたので、くやしくてならなかった。それで、ぜひ捜査隊《そうさたい》の中へ加えて下さいと、先生にまでとどけておいたほどである。
「ああ、そうか。それはいいね。この前は、牛丸君が春木君の遭難を知らせた。こんどはその恩がえしで、春木君が牛丸君を探しにいくというわけだね。まことにいいことだ」
 と、受持の主任《しゅにん》金谷《かなや》先生は、ほめてくれた。
「先生。牛丸君は、なぜさらわれていったのでしょうか」
 その時春木は、先生にたずねた。
「それがどうも分らないんだ。牛丸君の家は旧家《きゅうか》だから、金がうんとあると思われたのかもしれないな。そんなら、あとになって、きっと脅迫状《きょうはくじょう》がくるよ」
「脅迫状ですか」
「うん。牛丸平太郎少年の生命《いのち》を助けたいと思うなら、何月何日にどこそこへ、金百万円を持ってこい――などと書いてある脅迫状さ。しかしほんとは牛丸君の家は貧乏しているので、そんな大金はないよ。もしそう思っているのなら、賊の思いちがいさ」
 金谷先生は、牛丸君の家の内部のことをよく知っているらしかった。
「それじゃあ、なぜ牛丸君は、さらわれたんでしょうね」
「分らないね。牛丸君は、君のようにとび切り美少年《びしょうねん》だというわけでもないし……そうだ、君は何か心あたりでもあるんじゃないか。あるのならいってみなさい」
 と、金谷先生は春木の顔をじっと見つめた。
 そのとき春木は、例の生駒《いこま》の滝《たき》の事件のことをいってみようかと思った。あのときからヘリコプターにねらわれているのではなかろうかといい出したかった。しかし春木は、それをいったら、あの黄金メダルのことまでうちあけてしまいたくなるだろうと思った。その黄金メダルは、今はもう彼の手もとにないのだ。すべてあれからあやしい糸がひいているように思う。それなら、ここで先生にうちあけてしまった方がいいのではないか。
 だが、春木は、ついに、それをいいださずにしまった。
 そのわけは、彼が口をひらこうとしたとき、そばを立花カツミ先生が通りかかったためである。この女の先生はスミレ学園につとめているが、方々の学校へもよく来る。そして体操の話をしたり、あたらしい体操や運動競技を教えていくのだ。
「やあ、立花さん」と、金谷先生が声をかけた。
「おや、金谷先生。こんなところにいらしたんですか」
 と、立花先生は、そばへ寄ってきた。春木は、おじぎをして、二人の先生の前を離れた。そういうわけで、彼は黄金メダルまでの話をいいそびれてしまったのだ。
 このとき春木には聞えなかったけれど、神さまは口のあたりに軽い笑いをおうかべになり、悪魔はちょッと舌打ちをしたのであった。なぜだろう。


   絹《きぬ》のハンカチの文句《もんく》


 その夜にも二回、その次の日の朝にも三回、春木少年はお稲荷さんの祠を偵察《ていさつ》した。
 だが、彼が見たいと思った浮浪者の姿を見ることはできなかった。その浮浪者は、その夜はとうとうこの祠の中の寝床へはかえってこなかったのである。
(なぜ、帰ってこないのだろうか。ひょっとしたら、あの黄金メダルを売りにいって、お金がはいったから、帰ってこなかったのではあるまいか)
 春木少年の推理はするどく、かの姉川五郎の気持をある程度まで、ぴったりあてた。
 困《こま》った。売ったのなら、その売った先をいそいで探さないと手おくれになる。といって、それを聞くには浮浪者が帰ってこないと、聞くわけにいかない。彼はまたもや昨日の失敗がくやまれてくるのだった。
(ぐずぐずしていると、ますます工合《ぐあい》が悪くなる!)
 少年にも、そのことがはっきり分った。
「そうだ。ぼくは、なんというバカ者だったろう。盗まれるなら、あの黄金メダルに彫《ほ》りつけてあった暗号文みたいなものを、べつの紙にうつしとっておけばよかったんだ」
 ああ、そう気がつくのが、おそかった。
 黄金メダルは、もう春木少年の手にはないのだ。まったく注意が足りなかった。人に見せまい、大切に大切にしようと思って、黄金メダルの暗号文もよく見ないで、しまっておいたのだ。
「ハンカチがある。あれにも字が書いてあった。そうだ、あのハンカチも、いつ盗まれるか知れない。今のうちに、文句をうつしておこう」春木は、やっと今になって、本道へもどった。しかし彼は、本道へもどるまでに、二度も大失敗をくりかえしている。
 少年
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