で、犯人の目星《めぼし》がさっぱりつかないので、この事件を担当している、秋吉警部《あきよしけいぶ》はいらいらしていた。
彼は、チャン老人の絶命の三十分あとへ現場へついて、さっそく捜査の指揮をとったのであるが、血の流れている店内は、事件発見者の少年のしらせで駆けつけた近所の人たちによって、すっかり踏みあらされていた。犯人をつきとめるための証拠《しょうこ》が、これではつかめない。警部は困ってしまった。
それに、チャン老人は、店内にひとり住んでいたので、当時の店内の様子を証言する者がいなかった。向う三軒両隣はあるけれど、今日はチャン老人が殺害されると分っているなら、老人の店に出入りする人物に注意を払っていたであろうが、そんなことはあらかじめ分っていなかったので、誰も正確に出入りの人物を証言する者がなかった。おそらく犯人は、そういう事情をのみこんでいて兇行《きょうこう》したのであろうと、秋吉警部は考えた。
店内をしらべて、何が盗み去られたかを調査した。
その結果が、またはっきりしないのであった。なにしろたくさんのこまごました物がある。その品物の目録《もくろく》などはなかったから、何と何とがなくなったんだか分らない。
金庫は閉っていた。この中を調べたが、これもまたはっきり分らない。金庫の中には、日本の紙幣やアメリカの紙幣などがしまってあった。これだけが有金全部《ありがねぜんぶ》であったのか、それとも犯人はその一部を盗んでから、金庫を閉めて逃げたのか、どっちとも分らなかった。
かれ秋吉警部には興味のないことであったが、読者には興味のあることがらを、ここで一つ述べておこう。それはアメリカの紙幣で千二百ドルがそっくりそこに残っていたことである。これは犯人がどういう種類の人物であるかを判断するのに、一つの参考となる。――秋吉警部は、気の毒にも、そのような資料をつかむ機会にめぐまれていないのだ。
そこで警部の注意力は、もっぱらチャン老人の致命傷《ちめいしょう》と彼の死んでいた場所とその身体の恰好《かっこう》にそそがれた。
ピストルで心臓のまん中を見事に撃ちぬかれたのが、老人の死因だった。老人は声もたてずに死んだのであろう。
ピストルは老人の胸に向けられ、その銃口は老人の服にぴったりとふれていたにちがいない。その状況で、ピストルは発射されたのだ。だから銃口のあたっていた
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