かと、行って調べてきたんだ」
「それはどうも近頃勇敢なことです。そして閣下のお望みどおり第十室から奥へ入れましたか」
と皮肉るのは大臣アサリだった。
「いや駄目だった」
「駄目だということはすぐおわかりでしたろうのに。それにどうして朝になるまでアリシア区にいらしたのですか」
「ナニどうにかして扉《ドア》を開けたいと思って、頑張っていたんだよ」
「はあ、さようでございますか。どの扉《ドア》を開けようとなすってらしたのかわかったものじゃありませんわ」
アサリ女史は、そばの金の停り木にとまっていた青い鸚鵡の方を向いて、フォークの尖につきさした赤い肉片をさしだした。
飢えた鸚鵡は、それを見るより早く嘴を開いて肉片にとびついた[#「とびついた」は底本では「とびいた」]。だが、間もなく床の上にポトンと肉片の落ちる音がした。飢えたる鸚鵡が、せっかくくわえた肉片を惜しげもなく下に落したのであった。
「あれあれピント」と閣下は鸚鵡の名前を呼んで、「お前はどこか身体の加減でも悪いのだろうか」
するとアサリ女史が、鸚鵡に代ってこたえた。
「いいえ、ピントははちきれるように丈夫ですわ。でも人造人間の肉はまずくて口に合わないといっているのです」
「え、人造人間の肉だって?」
ミルキ閣下は愕いて椅子から飛び上った。アサリ女史の足許を見ると、大きな金盥《かなだらい》に、赤い肉片が山のように盛られていた。そして顔色を変えるミルキ閣下の目に、金盥のところから血の滴がポタポタと落ち、奥のカーテンの蔭にまでつづいているのが映った。
「うむ、貴様やったな」
飛ぶようにして、カーテンのところへ駈けつけたミルキ閣下は、そのカーテンの向うにバラバラに解体された精巧な器械の固まりを見た。その器械の固まりの端には美しい女の顔がついていた。それはやや蒼ざめてはいたが、何にも知らぬげににっこりと微笑んでいた。それを見た瞬間、閣下は爆発する火山のように憤怒した。
「な、何故殺したのだ。なぜアネットを殺したのだ。貴様はアネットが美しいので嫉妬しているんだな。殺しちゃならぬとあのくらいわしが命令したのに、なぜそのとおり遵奉《じゅんぽう》しないんだ。女大臣だとて、こうなっては容赦せぬぞ」
でもアサリ女史は、悠然と椅子に腰を下ろして、ガラスのなかの飲料をとっていた。
「まあおしずまりなさいまし。そうしたのもミルキ国のためを思えばこそです。この非常時に、閣下が人造人間にうつつを抜かしていられるなんてことが住民に知れわたったら、彼らはどんなに騒ぐことでしょうか。今こそ、かねてわたしが申しておきましたとおり、非常政策を遂行するべきときなのです。賢明なる閣下に、それがおわかりにならぬはずはないと存じますが」
閣下は、アサリ女史の言葉に反対はしなかった。だがそっぽを向いて独白した。
「――わしは檻のない監房に入っているのも同様だ。わしはもう永遠に美しい女性を手に入れることが出来ないんだ」
アサリ女史は閣下の独白が聞えないような様子を装っていた。そして閣下をまた元のようにテーブルの前に坐らせると、醇々と国策問題を述べだしたのであった。
「さあ、ミルキ閣下。わが国は今日より非常推進を行うのです」
「非常推進か。それでどうしようというのかネ」
「ミルキ国の地下には、金鉱が無尽蔵に埋没されています。あれをこの際向う一週間で全部採掘するのです」
「誰が採掘するのか。僅か一週間で採掘するなんて、第一人手も足りなければ、機械だって揃わないぞ」
「そんなことは訳はありません。わたしに委せておきなさいませ」
「委せておけって。フフン、どうせ失敗するのはわかりきったことだ。博士コハクが生きていりゃ、彼なら立派にやりとおすだろうとは思うがネ。君は政治家であっても、絶対に科学者ではない」
「科学者の要るのは始めのうちだけです。ここまで来れば、あとは運用だけです。いかに巧みに運用して大きな事業をやるか、それは政治家でなくては駄目なんです。科学が政治を征服することは絶対にありませんが、政治はいつも科学を征服しています」
「そう思っていたよ、昨日まではネ。しかし人造人間アネットに会ってからは、その考えがグラグラして来た。ああ美しいアネット。あのアリシア区の第十室の奥には、アネットよりもっと美しい人造人間が百人も千人もいるのかもしれない。全く科学は偉大な力だ」
「科学よりは黄金です。わたしは一週間で地下の黄金を掘りだして、そしてミルキ国のあらゆる道路も部屋も天井も壁もすべて黄金づくりにしてしまうのです。なんと素晴らしい計画じゃありませんか。ミルキ国は黄金でもって世界を支配するのです」
「世界を支配するって。黄金よりも鉄だ。黄金では戦争は出来ない」
「いえ、黄金さえあれば、ミルキ国に代って鉄でまもってくれる国はいくらでもあります。いや戦争をしかけて来た国の宰相をミルキ国に案内して、そして黄金造りの部屋を一つ与える約束でもすれば、もう戦争は起らないでしょう」
「そう簡単にいくだろうか。わしはそれほど楽天主義ではない」
そういっているところへ、遠方から、微妙な音響が聞えて、それはいつも聞き慣れたメロディーであった。ああ音楽浴が始まりだしたのだ。
「ああ音楽浴? 十八時の音楽浴じゃないか」
と閣下は目をパチクリとしたが、「待てよ。いまは八時じゃないか。音楽浴が間違って始まりだした。おい係りの者は何をやっているのだ」
するとアサリ女史は、いっこう慌てた様子もなく、ミルキ閣下に向って子供にさとすようにいった。
「ええ音楽浴ですわ。今日から音楽浴令を変えたんですのよ。これからは音楽浴を一時間置きに、つまり一日に二十四回やることにしました。そうすると国民は、今までの二十四倍ちかい仕事をするでしょう。そうなれば、もう眠ることも食べることも不要なんです。音楽浴さえかければ、それの刺戟で国民はあと一時間半を疲れもなく馬車馬のように働くでしょう。その後でまた次の音楽浴をかければいいのです」
「それは乱暴だ。死んだコハク博士もそんなことを計画しなかった」
「博士コハクは生れつき狡いから、わざと音楽浴を一日一回に制限したのです。でもないと博士自身も二十四時間働きつづけにさせられますからネ。わたしはそれを前からちゃんと知っていたのです。政治家でなければ、いちいち国の能率を本当に十二分にあげることは不可能ですよ。科学は政治家に征服されてこそ、真の偉力を発揮するのです」
このときミルキ閣下の耳底には、音楽浴の行進につれて国民の口からハッハッと吐きだされる苦悩の呻き声がアリアリと感ぜられた。
10[#「10」は縦中横]
ミルキ閣下は、昨日とは打ってかわった不機嫌なる体で、室内をゴトゴト歩きまわっていた。
女大臣は電波化粧台の前にすわって、自分の分泌腺をしきりと刺戟しながら、執拗にもミルキ閣下に話しかけた。
「閣下はいまにわたしに感謝なさいますわよ。閣下はご存知ないのでしょうが、今なお国内にて音楽浴の効き目が薄れた倦怠時間になると、怪しき性の手術を施して、男性が女性になったり女性が男性になったり、それはそれは口にするのも唾棄すべき悪行為が流行しているのですよ。そんなことが流行しては、国民の意気はどんなに沮喪することでしょう。閣下は国民に対して甘すぎます。彼等に睡る時間や喰べる時間や考えたり遊んだりする時間を与えるのは全く無駄なことです。そんなものは、彼等を倦怠に導き、そして堕落させる外に、何の効果もないのです。今の悪行為の流行も、その一つの証明です。だからわたしは、国を救うため、そして国民自身をも救うために、音楽浴を二十四時間にふやしたのです。それでもうまくききめが現われないようならわたしの理想とするのべつ幕なしの音楽浴を計画したいと思います。そうすれば国民全体を一人の人間に命令するように不揃いなしに右にでも左にでも向かせることが出来るのです」
「完全に自由を奪うのだね。それまでにしなくともいいだろうに」
「いえ、その方が国民にとっても、どのくらい幸福かしれやしません。国民が心配することは一つもなくなるからです」
「わしはいやだ」
「閣下は、政治家たる素質がおありにならないから、そうお思いになるのです。ではこうなさいませ。生れつきの政治家であるわたしに統治の全責任をお委せになったら。そして閣下は引退なさるのです。そうすればどんなにか気楽ですわ」
「莫迦を言え。それは陰謀だ。わしはミルキ国の永遠の統治者だ。お前にはまかさんぞ」
「ホホホホ。何とおっしゃっても、もうこの国も閣下も、わたしのものですわ。わたしは今ではこの国一番の智慧者なんですもの。閣下は私を力になさるより外に、途がないのですもの。ホホホホ」
女大臣アサリ女史は、頬骨の高い顔をつきだして、ふてぶてしく哄笑した。
ミルキ閣下は、やっと今になって、女大臣の策動にかかって、愛する美しきミルキ夫人と智慧の神コハクを喪ったことを知り、じだんだ踏んだが、後悔は先に立たなかった。彼は今や、女大臣アサリの男妾にまで下落しようとしている自分自身に気がついた。
それから三十分ほどたった後のことであった。突如として非常警報がミルキ国の全土を震駭《しんがい》させた。すわ、何事であろう。
或いは高く或いは低く鳴奏される警報を耳にした国民は、誰の顔もいいあわせたように不安の想いに青ざめて、高声器の前に集まった。それは天文部長ホシミから発せられたものであった。
「警報! 天文部長発表。八時四十分観測員は北極星より南東十度の方角に当って、奇怪なるロケット艦を発見せり、その後引続き観測の結果、該ロケット艦の進路は、まさしく吾がミルキ国に向って直進中なることを知りたり。而してロケット艦とわがミルキ国との出会時日は明後日の二十三時なりと推定す」
火星のロケットの襲来! 火星の民族が攻めてくるだろうとは、数世紀前から想像されていたことである。その恐怖すべき来襲の幕はいよいよ切って落とされたのだ。
そういえば、この旬日、発信局の知れない電波信号が盛んに受信器に混信すると思っていた。それは火星のロケット艦から発したものにちがいなかった。只今天文部は、電子望遠鏡の中に彼の姿をキャッチしたのだった。
「もし火星からの来襲があれば、それは決して平和的なものではない」とかねて博士コハクは断言していた。その恐怖が今や蔽うことのできない厳然たる事実となって現われたのであった。火星の強襲の目的はどこにあるのだろうか。ミルキ国の住民たちは、それがミルキ国の地底深く埋まっている無尽蔵の黄金層にあるのだと思っていた。いつの世にも、富を抱く者は、その富のために自ら消えなければならなかった。
さしせまる国難に、女大臣アサリとミルキ閣下の対立も、自然解消するよりほかなかった。
「閣下、明後日にせまる火星ロケット艦の到着を今まで気がつかなかった天文部員の怠慢を、一つ大いに責めなくちゃならんと思いますわ」
「そんなことは後でゆっくり考えることだ。それよりもそのロケット艦が、どんな攻撃武器を積んでいるかを観測させ、一刻も早く報告させた方がいいだろう」
そういっているとき、天文部からの報告が伝声管を通じて入ってきた。部長ホシミの声だった。
「――観測が困難を極めております。はい」
「一体どうしたんだネ。わたしは貴下の愛国心を疑うよ」
「いいえ、女大臣アサリどの。部員一同、愛国心には燃えているんです。寧ろ昂奮し過ぎています。だから観測装置をあやつらせても、落ちついて精密な観測をやり遂げる者がいません。日頃の熟練ぶりに比して、五十%ぐらいの能率しか発揮し得ないのです」
「人間て、なんてだらしがないんだろう。では、貴下が自ら観測したらどう?」
「私とて同じことです。どうも頭脳が麻痺しているようです」
「ではもう一度、音楽浴をかけようかネ」
「いやそれはいけません。音楽浴が私どもの頭脳を麻痺しているんですから」
「ちぇッ。この上の弁解は聞きませんよ。そして貴下たちがその職責を尽さなかったときには、わたしはすぐに刑罰
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