れてバラはいささか得意だったけれど、アリシア区を案内することは彼女にとってむしろ迷惑なことだった。
でも、命令は命令である。彼女はやむなく次の工作室から始めて、ミルキ閣下の一行を各室に導いていった。
アリシア区は全体が同じ段階の上にあった。そして室の数は大小合わせて十六にのぼっていた。しかしこの十六の部屋をことごとく知りつくしているのは博士コハクだけであって、バラは九室を、ペンはわずかに六室を知っているだけだった。いったい同一区の住民は、区内の隅から隅まで知るのを法令により許されているはずだったけれど、博士コハクはその掟を破って、職責に比例して研究室の交通を制限していた。
第六室までの案内は、至極無事に終った。変っているには相違ないが、そう愕くほどのものはなかった。そこでバラは一行の方を振りかえり、「第七室から、主として人造人間の秘密研究室になります。これから先は、すこし変っていますから、そのおつもりで……」
と、注意をすることを忘れなかった。
第七室に入ると、果然そこには大仕掛けな動力機械が林のように並んでいた。すべては人工宇宙線による原子力分解機関であって、二十四基に分れ、それが各台ともさらに多数の枝線へ変圧配給されているのであった。部屋の一方の壁はこれらの配給線管で毛糸の編物を顕微鏡でのぞいたような光景を呈していた。そしてすべてが深海の底のように無音の状態に置かれてあるのが、さらにこの部屋を恐ろしいものにした。
第八室に入ると、ここは参考標本室であった。人造人間の博物館ともいうべきところで、紀元前四世紀以来、人知が考え出した人造人間のありとあらゆる模型が陳列されてあった。あやつり人形のようなもの、甲冑武士のようなもの、進んでは電波操縦によるリレー式のもの、それから人造肉をかぶせてだいぶん人体らしくなってきたものなど約七百種のものが陳列されてあった。これらの人造人間の標本は、まるでみいら[#「みいら」に傍点]の殿堂に入ったように、怪しい表情を天井にむけ、永遠に硬化した肩と肩とを組み合わせていた。
ペンは始めて見る室々の怪奇さに、揉み手をしたり、目を大きく剥いたりして昂奮という態であった。
「第九室です。すこしうるさくなります」
とバラが案内人のような口調でいった。
ミルキ閣下は女大臣と目を見合わせて、ちょっと不安な表情をしたが、間もなく二人は胸を張り肘をつっ張って、しいて虚勢を張りながら、第九室に通う戸口の前に立った。
バラは、なんとしたことか、案内すると言って置きながら、扉《ドア》を開くのを妙に躊躇していた。女大臣アサリは早くもそれを見て取って、彼女らしいヒステリーを起した。
「さあ、早く扉《ドア》を開きなさい。ぐずぐずしていると、ためになりませんぞ」
と、アサリ女史はバラを睨みつけた。
それでもバラは、もじもじと尻込みをしながら、はんかち[#「はんかち」に傍点]などを出して、しきりに額の汗を拭うのであった。ペンはそれを見ていると恐ろしくなってきて、戸口から遠くへ身を引いた。
女大臣の顔は、だんだんと赭らんできた。憤怒の血が湧き上ってきたのだった。
「開けないのだネ。開けなきゃ、わたしが開けて入る。しかしお前さんは後で刑罰を覚悟しているんだよ」
女史が扉《ドア》を押そうとしたとき、バラはあわてて前へ飛びだした。
「あっあぶない、待って下さい。扉《ドア》をそのまま開けると爆発しますのよ」
8
爆発! と聞いて女史はブルブルと身ぶるいをした。博士をミルキ夫人の室で虐殺しようとしたときに、思いがけない爆発が起って、二人の手足が引裂かれてバラバラになったことを思い出したからである。「ではやむを得ません。只今わたしが安全装置を入れてから開けます」
バラは観念したものと見え、今は悪びれる様子もなく、扉《ドア》の前に立って、三つの目盛盤を右や左にグルグルと廻しはじめた。青と赤と黄とのパイロットランプが次々に点滅した。そのうちに扉《ドア》は、静かに内部に向って動きだした。一行は、だんだんと開いてゆく隙間をとおして、室内の模様をこわごわ覗きこんだ。
「この第九室は、博士が試作品を入れておかれる部屋なんです。室内の生物たちを、あまりからかわないで下さいまし」
バラの先導で、一行は恐る恐る室内に足を踏み入れた。
途端に、なによりも早く一行を愕かせたものがあった。思いがけなくも、その室内に一人の裸女が立っていて一行の顔をジロリと見渡したのである。
その裸女は、年の頃は十七、八歳でもあろうか。牛乳を固めたような真白な艶のある美しい肢体をもっていた。ことに人目をひくのは、その愛くるしい顔だった。世界中探しても二人とはいないほどの美少女だった。どこやらミロのヴィナスに似ていたが、むしろそれよりも天使に近かったといった方がいいかもしれない。彼女は文字どおり一糸をもまとわない裸身を別にはじらうでもなく、一行の方を向いてにっこりと笑ってみせた。
「これは素晴らしい美人だ!」ミルキ閣下は好色な喜悦をあけっぱなしに叫んだ。「その女、名前はなんという」
「アネットという名がつけてございます」
とバラが少女に代って返事をした。
「なに、アネットというのか。相当いい名前だが、もっと似合のやさしい名前を与えてやった方がいいと思うぞ」
「しかし閣下、誤解なすっちゃいけませんよ。アネットは人造人間です。身体をよく見てやって下さいまし」
「なんだって。身体を見ろというのかい」
ミルキ閣下は目を皿のようにして、アネットの全身をジロジロと探りまわした。
「おお、そうか」
閣下の目が下の方に下がってきたとき、彼は思わずにが笑いをした。そこに人間として未完成な部分を発見したが故だった。
「――ではちょっとご説明いたします。この部屋に飼ってあるものは、いずれも博士コハクの試作生物です。こっちの小豚のような四つ足は身体と内臓とが人造肉によって作られ、そしてシェパードの脳髄を移し植えたものでございます。それからこっちは、猿に人間の幼児の脳髄を植えたもの……」
バラは金網の前に立って、いちいち説明をしていった。
実に怪奇を極めた生物館だった。一つとして、まともなものはいなかった。人間の形をしたものもいた。乳から上だけの人間が黄色い液体の充たされた大きなガラス器の中に漬かっていた。彼は両手でガラスの管を口にくわえて、紫色の液体をチュウチュウ吸いつづけていた。その液体のもとを見ると、複雑な化学装置からできていたが、その先は器内の黄色い液体だった。つまり黄色い液が途中で紫色の液になり、それが半身人間の身体を通るとまた黄色い液に変るという循環運動をなしていた。バラはこれを、新しき栄養摂取の試験をやっているのだと説明した。
このバラの説明の間にもミルキ閣下はとかくソワソワした態度で、人造人間アネットの方に注意を奪われがちだった。女大臣アサリ女史の眼にも、それがハッキリと映じたので彼女はだんだん蒼ざめ、はては身体をブルブルとふるわせた。
ところがミルキ閣下は、そんなことにいっこう気がつく様子もなくついに列を離れて、アネットの立っているところへ引き返してきた。
「美しいアネットよ。お前はこの部屋で何をしているのかい」
アネットは白痴の唖女のように、ただニコニコと笑っているばかりだった。
「ああ閣下」とバラが血相をかえてやってきた。「アネットは試作品ですから、特別の符号でないと通じないのでございますよ。ミルキ語は、彼女にわからないんですよ」
「なんだって、ミルキ語がわからんというのか。それは実に不便だネ」
とは言ったが、いわゆる白痴美というのであろうか、アネットの美しさに閣下はますますひきつけられていった。
そのとき女大臣はこらえかねたように歯をギリギリ噛みあわせると、アネットのそばに足早に近づいた。そして内ぶところに隠し持ったナイフをキラリと抜くや、それを逆手に持ってアネットの心臓の上をめがけてただひと突きとばかり腕をふるったが、このとき遅しかのとき早し、顔色をかえたバラが身を挺してアサリ女史の腕にシッカと飛びついて、わずかにことなきを得た。しかし女史は大暴れである。バラもまたひどく昂奮していた。
「女大臣、何をなさるのですの」
「お前の知ったことではない。わたしの権限で、この人造人間を殺すのだ」
「殺すのはちょっとお待ち下さいまし」
「なにを邪魔するんだい。生きた人間を殺すのはいけないかもしれないけれど、器械で出来た人造人間を殺すことがなぜ悪いんだい。こんな女のできそこないは、見ているのも胸くそが悪い。わたしは権限をもってアネットを殺してしまうのさ」
「いけませんいけません、アネットを殺しては。アネットは作り上げられてから、もう何週間もこの部屋で試作品の世話をして働いていたのです。わたしたちとも言葉をかわして、仲好しになっているのです。本当の人間と変りはないのです。それを殺すなんて、それは――それはあんまりです」
バラはナイフを握る女大臣の手を捕えて、頑とはなさなかった。
「ちょッ。お前さんは女大臣に反抗するんだネ。ようし、もう許して置けないッ」
「でもアサリ大臣、もう一度考え直して頂けません――それにあの、博士が亡くなったのなら、残された人造人間を大事にして置かないと、他の人の手ではもう再び人造人間を作ることができないかもしれないのでございますよ。それはミルキ国にとって最大の損失ですわ」
「最大の損失だなんて、僭越な。ホホホ、察するところお前はこの人造人間を愛しているのだネ」
「……」
女大臣がバラの髪をむずと掴み、腹立ちまぎれに引き倒そうとする様子にミルキ閣下は愕いてついに大喝した。
「待て、アサリ女史。ミルキの名をもって、この人造人間に傷害を加えることを許さぬぞ。人造人間は国のため貴重な研究品だ。わしはいままでに八百億ルクルの金を、この研究のために支払っているぞ、殺しちゃならぬ。ナイフを収めい」
「閣下」とアサリ女史はミルキの胸ぐらを取って、「ご命令には従います。しかし今誓って下さい。この出来損いの人造人間に閣下が人間に対するような言葉をおかけにならぬように」
「うむ。そいつはよくわかっている。わしに何らの他意のないことはお前もよく知っているじゃないか」
そういうと、女大臣はにわかに眼を細くして、おもはゆげに顔を赭らめた。
部屋の隅ではペンがひとりでにがりきっていた。
「なんだ、面白くもない。バラの奴は人造人間を愛してやがるし、女大臣はミルキ閣下と密通していたんだ。それじゃあ俺も遠慮することはなかった。俺と仲のいい靴工ポールの奴は身体を女性に直しやがったが、あれは俺と一緒になりたくてそうしたのにちがいない。よオし、これから行って本気で話をつけてこようや」
9
その翌朝のことだった。
ミルキ閣下と女大臣アサリはお揃いの朝食をとっていた。
女大臣は寝衣《ねまき》を着ていたのに、ミルキ閣下は外出服をつけていた。
「閣下は昨夜ふけて寝床から抜けてゆかれましたね。おかくしになってもだめよ。一体何処へ行ってらしたのです」
「イヤなにちょっと、その……」
「いくらお隠しになっても駄目ですのよ。わたしの部下が、さっき閣下をアリシア区附近でお見かけしたといっていましたよ」
「アリシア区で見かけたというのかい、このわしを」
ミルキ閣下は愕きの目をみはった。
「何のご用があって、わざわざ夜更けに寝床から抜けていらしたのですか」
「何の用って、別に――お前は誤解しているようでいけないよ。昨日もアリシア区を調べてわかったではないか」
「なにがわかったとおっしゃるの」
「ソノつまり、つまりソノ何だ。ええ、昨日アリシア区を調べたが第九室までしか見られなかった。第十室以後は、しいて開けようとすると爆発するという騒ぎだ。しかし第十室以後を見ないというのは、ミルキ国において自分の絶対権力が行われないところもあるという面白くない証拠を残すことになる。それははなはだ残念だからどうにかして中に入りこむ手段はないもの
前へ
次へ
全7ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
海野 十三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング