「ま、そう怒ってはいけない。君は誤解しているようだ」
 と貞雄は恐れ気もなく、傍に寄り添って来ながら、
「僕は誓う。また君自身も知っているだろうが、僕は絶対に君と性的交渉を持ったことはないのだ。ね、そうだろう。――だから怒ることはないじゃないか」
 そういわれると、妾にもその忌《いま》わしいことの覚えはなかったが、それにしても……。
「じゃあ、それが本当なら、なぜ妾は貴方の胤《たね》を宿したのです。誰が訛《だま》されるもんですか。嘘つき!」
「君と関係を持たなくても妊娠させることは出来る。――君は覚えているだろうが、この前僕が医師として君の身体を検べたときに、簡単な器械で君に人工姙娠をしといたのだ。造作のないことだ」
「じゃあ、忌わしい関係はなかったんですね」
 と妾は稍《やや》安堵《あんど》はしたものの重ねて詰問をした。
「でもなんの目的で、妾を身籠らせたんです!」
「それは君、君の頼みを果しただけのことだよ。君は『三人の双生児』のことを知りたがって、どんな手段でもいい、と云ったではないか、実を云えば、先刻話をした結論の中には欠陥があったのだ。それは私の父と君の母親とが果して関係したかどうかということだ。それを僕は遺伝学で証明しようと思った。調べてみると、君の母親の血統には両頭児の生れる傾向があるのだ。真一真二が生れたのは、君の母親が割合に血縁の近い従兄である西村氏と関係したので、その血属結婚の弱点が真一真二の両頭児を生んだのだ。しかし僕の父とは他人同志だから、とにかく健全な君が生れた。そこで君が私の父の子であることを証明するのには僕の考えた一つの方法があると思うのだ。それはそこでもう一度君が君の血族から受精してみると、きっと血族結婚の弱点で両頭双生児が生れるだろうという――これは僕が論文にしようと思っているトピックスだ。そこで僕は学問のためと君の願いのため、僕の精虫を君の卵子の上に植えつけてみたのだ。その結果……」
「おお、その結果というと……」
 妾はハッと思った。
「その結果は、果然《かぜん》僕の考えていたとおりだ。僕は偉大なる遺伝の法則を発見したのだ。すなわち君がいま胎内に宿している胎児は、果然真一真二のような両頭児なのだよ。レントゲン線が明《あきら》かにそれを示して呉れたところだ」
「ああ、双頭児ですって?」
 妾は気が変になりそうだ。
「僕の研究は一段落ついた。で、この上は君の希望を聞いてみたいと思う。その双頭児をこれから大学の病院で流産させてしまおうと思うのだがネ」
「ええどうぞ、そうして下さい。是非そうして下さい。妾は親となって育てるのはいやです」
 と喚《わめ》き散らした。
 そこで妾たちは、大学の医学部教室へ入った。
「ほら、これが真二の首だよ」
 そういって貞雄は硝子瓶の中にアルコール漬けになった塊を指した。妾はそれを覗いた。
「ああ、あの子だ」
 それは確かに、妾の記憶にある懐しい幼馴染《おさななじみ》の顔だった。実になんという奇しき対面であろう。色こそ褪《あ》せて居るけれど、彼の長く伸びた頭髪は、可愛いカンカンに結って、その先に色を失った三つのリボンが静かにアルコールの中に浸っていた。ああ、なんという可憐な顔だろう。妾はそれをじっと見つめているうちに妾の考えが急に変ってくるのに気がついた。そうだ、今腹に宿っている両頭の子供を下すのは思い止まりたい。例えそれが畸形児であろうとも、妾が母たることに違いはないのだ。血肉を分けた可愛い自分の子に違いないのだ。流産して殺すなんてそんな惨《むご》たらしいことがどうして出来ようか。
 妾は貞雄が向うの標本を眺めている隙に、独りで教室をドンドン出ていった。



底本:「海野十三全集 第2巻 俘囚」三一書房
   1991(平成3)年2月28日第1版第1刷発行
初出:「新青年」
   1934(昭和9)年9、10月号
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
※「現代推理小説大系8 短編名作集」(講談社、1973(昭和48)年)を参考に、誤植が疑われる以下の箇所を直しました。(数字は底本のページと行数)
○316−上−1 キュウと唇と曲げて→キュウと唇を曲げて
○320−下−22 遠く距《へただ》って→遠く距《へだた》って
○333−上−15【底本では、右の1行が脱落】→「出鱈目だって」
○358−上−22 妾をそれを覗いた→妾はそれを覗いた
※「妊娠」と「姙娠」の混在は、底本通りとしました。
入力:tatsuki
校正:土屋隆
2004年5月31日作成
青空文庫作成ファイル:
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