物に鹿の子の帯を締め、そしてお河童頭には紅いリボンを三つも結んでいるというのがそのころの妾自身の身形《みなり》だった。妾の尋ねるはらからというのは、その頃寮の中に設《しつら》えられた座敷牢のような太い格子の内側で、毎日毎日|温和《おとな》しく寝ていた幼童《ようどう》――といっても生きていれば今では妾と同じように成人している筈だ――のことだった。
「なぜ、あの幼童は、暗い座敷牢へ入れられていたのだろう?」
 今もそれをまことに訝《いぶか》しく思っている。どうしたわけで、あの年端《としは》もゆかぬはらからをいつも暗い座敷牢のなかに入れ置いたのであろう。成人した人間であれば、気が変になって乱暴するとかのような場合には、座敷牢に入れて置くのは仕方ないことだったけれど、あの場合はともかくも五つか六つかの幼童ではないか、乱暴をするといってもせいぜい障子《しょうじ》の桟《さん》を壊すぐらいのことしか出来る筈がない。それくらいのことのためにわざわざ頑丈な座敷牢を用意してあったことは、全く解きがたい謎である。
 イヤよく考えてみると、あの幼童は別に気が変になっていたようにも思われない。そのころ妾は四度か五度か、或いはもっとたびたびだったかも知れないが、その幼童の座敷牢へ遊びにいった憶えがあるのであるが、決して乱暴を働いているところを見たことがない。乱暴をするどころかその幼童はいつも大人しく寝床の中にじっと寝ていたのであった。ついぞ妾は一度も起きあがっているところを見たことがない。恐らく幼童は病身ででもあったのだろうと思う。一体病身の幼童を座敷牢へ監禁して置くような惨酷《ざんこく》きわまる親があるだろうかしら。考えれば考えるほど不思議なことではないか。
 親といったので、また一つ思いだしたけれど、妾がそのはらからの幼童のところへ遊びにいったときは、いつも必ず座敷牢の中に、妾の母がつきそっていた。母はやさしく、寝ている子供のために機嫌をとっていたようである。広告文にもちょっと書いておいたことだけれど、妾はそのころ髪をお河童にして、そこに紅いリボンを二つならず三つまでもカンカンに結びつけて悦《よろこ》んでいた。なぜそれをハッキリ憶えているかというと、座敷牢のなかの妾のはらからは、そのカンカンに結びつけた紅いリボンがたいへん気に入ったとみえて、或る日妾がツカツカと寮に入っていったとき丁度なに
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