るほど頬はこけ落ち、前よりも三倍も大きくなったかと思われる其の眼はいやに血走っていました。
私は相手が既に私を知っているかどうかを考えました。若《も》し細田氏が邸の前に不審な挙動をして徘徊《はいかい》する私を窓越しにでも見覚えているものとすれば、私が彼に近付いたとき大きな声でも立てられて「この学生は曲者《くせもの》だから、ふん縛れ!」などと喚《わめ》かれでもしようものなら大変だから、逃げた方がよいと思いました。そうで無くて細田氏が私を例の三角形事件と結び合わして承知していないのなら、私は平然と狂犬の如き氏の横をすれちがって通るのがよい。たとえ理由なくとも、今向うからやって来る氏の顔を見て逃げ出したのでは錐《きり》のようになっている敏感な氏は瞬間に万事を悟って誰彼の容赦なく、忽《たちま》ち狂犬の如く咬みつくことであろう。そう思うと流石《さすが》に私も進退谷《しんたいきわ》まって、いつの間にか往来に立ち停ったのでした。
其の時でした。不意に横丁から笛と太鼓と鉦《しょう》との騒々《そうぞう》しい破れかえるような音響が私の耳を敲《たた》きました。と早や私の身体を前に押し出すようにして私の前に躍進したのは、近所の寄席の番組がわりでも触れて歩くらしい広告屋の爺さんで、背中には赤インキで染めたビラを負い腹に釣った大きな太鼓の前には三角の広告旗を沢山つけ、背中のうしろからのび上った竿の先に身体を全体を蔽《おお》うかのように拡げてとりつけられた紅白だんがらの花傘の上にまで、一面に赤い三角旗を樹《た》てまわしていました。
私は一瞬間このグロテスクな闖入者《ちんにゅうしゃ》に驚かされましたが、直ぐ眼前の敵である細田氏の姿に眼をうつしました。其時アッと思う間もなく細田氏はクルリと背後《うしろ》を見せるが早いか蝙蝠傘《こうもりがさ》を拡げたような恰好をして向うへ逃げ出しましたが、直ぐ左手にあった喫茶店へ大遽《おおあわ》てで飛び込んだものです。
其の姿を一目見ると私は何もかも事情が判ってしまいました。いや何も知らない広告屋の爺さんは、細田氏の恐怖の標《まと》である三角形の旗を身体中にヒラヒラとひらめかして凱旋将軍《がいせんしょうぐん》の如く向うへ押しすすんで行くではありませんか。私は急に身体が軽くなるのを覚えました。そしてカラカラと笑いたくなりました。
実に其時です。細田氏が今|遁《
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