の脇《わき》に吊《つる》しておいた非常袋を掴《つか》むが早いか、部屋をとびだして、街路を駈《か》けだした。目標の市民防空壕《しみんぼうくうごう》は、五百ヤードの先である。
 息せき切って防空壕に辿《たど》りついたはいいが、ふと手を頸《くび》のところへやってみると、肝腎《かんじん》の入壕証《にゅうごうしょう》がない。しまった。紐《ひも》をつけて頸にかけていたが、途中で切れてしまったらしい。といって引返《ひっかえ》してまごまご探していようものなら、足の早い日本空軍の爆撃機は、私の知らぬうちに頭上へ現れるだろう。
 私は泣き面《つら》に蜂《はち》の体《てい》たらくであった。
「入れてくださいよ。入壕証は、その辺で落として来たんですよ」
「その辺で落として来たんなら、これからいって拾ってくるがいいじゃないか」
「それが……」
 役人は意地悪い顔つきで、私を睨《にら》みつけている。仕様《しよう》がない。なけなしの財布の底をはたくより外《ほか》に途がない。
 私は、非常袋の中へ手を入れて、五千|元《げん》の法幣《ほうへい》を掴《つか》みだした。それをそっと、役人に握らせると、
「今日だけ、一つ頼みます」
「ううん。たった、これだけか。これだけでは……」
「ああ出します。もうこれで身代限《しんだいかぎ》りなんです」
 と、私は更に三千元の法幣を掴みだして、かの役人の手に握らせた。
「よろしい。今度だけ大目に見る。この次は二万元以下じゃ、見のがされんぞ」
「へい」
 私は急いで、役人の腕の下をくぐって、防空壕の中にとびこんだ。すると、ずんずんずんずずーんと、大きな地響が聞えてきた。もう爆撃が始まったのである。ぐずぐずしていると、防空壕の入口が閉ってしまうところであった。
 それが爆撃の皮切りであった。それから、始まって、息をつぐ間もなく、爆裂音《ばくれつおん》が続いた。壕の天井や壁から、ばらばらと土が落ちて、戦《おのの》き犇《ひしめ》きあう避難民衆の頭の上に降った。あっちからもこっちからも、黄色い悲鳴があがる。
 中には、案外くそ落着きに落着いている奴もあるもんだと思ったが、私と肩を摺《す》り合わせている青年がいった。
「あの、どどーんという爆裂音と、あのずしんずしんという地響と、この二つを無くすることが出来ないものかな。あれを聞くと、生命《いのち》が縮《ちぢ》まる」
「それは無理
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