こととて、一方の血路を切り開いて兎《と》も角《かく》も乗り切ることが第一義であった。一応その定義に服従して、結果を出すのがいいであろう。
学説に拠《よ》れば探偵小説とは謎が提供され、次に推理によってその謎を解く小説のことである。つまりここに一つの謎があって、その謎を構成している諸材料に関する常識乃至《ないし》は説明だけの知識でもって、その知識の或る部分を推理によって適当に組合わせてゆくとそこで謎が解けるそのような推理体系を小説の形で現わしたものが探偵小説だというのである。
鼠の顔を推理で解いて、果してどういう答がでるだろうか。
「鼠の顔とかけて、何と解きなはるか」
「さあ何と解きまひょう。分りまへんよってにあげまひょう」
「そんなら、それを貰いまして、臥竜梅《がりゅうばい》と解きます」
「なんでやねン」
「その心は、幹《みき》(ミッキー)よりも花《はな》(鼻《はな》)が低い、とナ」
これは単なる謎々であって、探偵小説ではない。第一その謎を解く鍵《キイ》が、至極フェアとまではゆかない。無理な着想を強《し》いる。
もしこれが探偵小説の形で発表されていたにしても、その点で優等品とはゆかない。そうした欠点は、この謎を作るときに建てた推理が謎を解くときの推理と全く逆であるところに無理がある。つまり素直なる順序によってこの「鼠の顔」の謎を解いたわけではなかったのだ。逆ハ必ズシモ真ナラズとは、中学校――もちろん女学校でもいいが――で習う幾何の教科書に始めて現れるが、上記の場合は正に必ズシモの場合なのである。
「鼠の顔」の謎を拵《こしら》えるというので、まず鼠に因《ちな》むものはないか考えた。そしてミッキーを得た。――ミッキー・マウスではすこし長すぎて手に負えない。
それが決まると、ミッキーと「鼠の顔」との連鎖事項を考える順序となる。但しその連鎖事項たるや同時に「鼠の顔」とは全く違う他のものを説明するものでなければならぬ。ここに至ればもう運と常識の戦争である。幸い臥竜梅を早く思いついたから、それで謎は出来上ったことにしたわけだが、その連鎖事項がすこし薄弱性を帯びていることを否《いな》み得ない。
謎々はこうして出来上ったが、前にも云ったとおり、謎の答から謎の説明を考究していったのだから、その謎を解くとき「鼠の顔」の連鎖事項を探して、謎の答を推理してゆくのとはちょうど逆の順
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