その考えもつきたころ、僕は、
「ああ、そうだ。……忘れていたぞ、恋人の鍵を!」
 恋人の横顔を刻んである鍵――それをトンと忘れていたのだった。僕はそれを膚につけていた。それを取出して、じっとその横顔を眺めた。鍵の握り輪の中の女は、ウェーブをしたような髪を結っていた。すんなりと伸びた鼻すじ。小さい眉、ことにつぶらな下唇、そして形のいい可愛い頤……
「もし、北川さん」
 わが名を呼ぶこえに、目覚めてみると、傍に秀蓮尼が座っていた。いつの間に庵主は帰ってきたのか気がつかなかった。僕はいい気持になって、昼寝をしていたものらしい。
「やあこれは……」
 僕はガバと起き直るなり、頭を掻《か》いた。秀蓮尼の顔を見ると、これは愕いた。なにごとが起ったのであろう。彼女の顔色は紙よりも白かった。――
「北川さん。この鍵は貴方のですの」
「そうです、僕のですよ」
「どこで手に入れなさいまして?」
「それは、――」
 といったが、秀蓮尼は眼を輝かし、いまにも飛び掛ろうという勢を示していた。これは思いがけない大事件になった。何が俄《にわ》かに仏《ほとけ》のような彼女を、セパート犬のように緊張させたのかまったく彼
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