れたとでも思ったものか、腹立たしそうに叫んだ。
「蠅が二匹、たしかに見えるというのだナ。それでよしよし」楊博士は軽く肯《うなず》き「では暫く、この壜の中の蠅をよく見ておれ。よく見ておれば、今になにか異変を発見するじゃろう。そのときは、儂《わし》にいってくれ」
「なにか異変を、だって。うむ、ごま化《か》されるものか」
 二人は顔を硝子壜のそばによせ、目玉をグルグルさせて、壜の中をとびまわる蠅の行方《ゆくえ》を追いかけていた。
 そのうちに二人は、
「オヤ、――」
 と叫んだ。つづいて間もなく、
「オヤオヤ。これは変だ」
 と愕《おどろ》きの声をあげた。
「なにか起ったかナ」
「うむ。蠅が二匹とも、どこかに行ってしまった」
「蠅の姿が見えなくなったというわけだナ。どこへも行けやせんじゃないか。密閉した壜の中だ。どこへ行けよう。第一壜に耳をあてて、よく聞いてみるがいい。蠅はたしかに壜の中を飛んでいるのだ。翅《はね》の音が聞えるにちがいない」
 二人は半信半疑で、大きな硝子壜に耳をつけてみた。
「なるほど、たしかに翅がブーンブーン唸《うな》っている。それにも拘《かかわ》らず蠅の姿が見えない。これは変だ」
 ウルスキーとワーニャは、互いに顔を見合わせて、怪訝《けげん》な面持《おももち》だった。
 しばらくして二人は、云いあわせたようにホッと吐息《といき》をついた。
「さあ、これで儂の『消身法《しょうしんほう》』の実験は終ったのだ。約束どおり、その金環《きんかん》を返して貰《もら》おう」
 と、楊博士はウルスキーの手から金環をふんだくった。ウルスキーは呆然《ぼうぜん》としている。
「これだこれだ。この金環だ。ああよくもわが手に帰ってきたものだ。わが生命よりも尊《とうと》いこの世界の宝物《ほうもつ》! どれ、よく中を改めてみよう」
 黄金の環が、その宝物かと思ったが、博士はその環の一部をしきりにねじった。すると環が縦に二つにパクリと割れた。博士はソッと片側の金環をとりのけた。中は空洞《くうどう》であった。つまりこの金環は、黄金の管《くだ》を丸く曲げて環にしてあるものだった。
「ややッ。無いぞ無いぞ、大切な宝物がない。オイどうしたのだ。世界一の宝物を早くかえせ」
 ウルスキーは気がついて、
「なにを喧《やかま》しいことをいうんだ。黄金《おうごん》の環《かん》はちゃんとお前の手に返っているじゃないか」
「金環《きんかん》が宝物だといってはいないじゃないか。この環の中に入れてあったものを返せ」
「なにも入っていなかったじゃないか」
「嘘をつけ。たしかに入っていた」
「なにをいうんだ。それじゃ一体何が入っていたというんだ」
「毛だ。毛が一本入っていた」
「毛だって? はッはッはッ。そうだ、ちぢれた毛が一本入ってたナ。その毛が何だ。毛なんてものは掃《は》くほどあるじゃないか」
「その毛を返せ。あれは世界の宝物なのだ。十萬メートルの高空で採取《さいしゅ》した珍らしい毛なんだ。それを材料にして調べると、他の遊星《ゆうせい》の生物のことがよく分るはずなんだ。世界に只一本の毛なんだ。これ、冗談はあとにして、その毛をかえせ」
「この『消身法』の実験装置ととりかえならネ」
「うむ、そんなことはいやだ」と楊博士は首をふった。
「ええい面倒くさい。話はこれだ」と、首領ウルスキーは懐中からピストルを出して、博士の胸もとにつきつけ「折角《せっかく》かえしてやろうというのに、要《い》らなきゃ黄金の環もこっちへ貰って置く。おいワーニャ。お前はその『消身法』の硝子壜《ガラスびん》を貰ってゆけ」
「へへえ、この気味のわるい硝子壜をですかい」
 そのとき卓子の下から濛々《もうもう》と煙がふきだした。
「ほら、博士の奥の手が始まった。早く引きあげないと、またこの前のようにひどい目に遭《あ》う、気をつけろ」
 首領の怒鳴っているうちに隙《すき》があったものか、博士はヒラリと身を翻《ひるがえ》して、衝立のうしろに逃げこんだ。
「どこへ逃げる。こいつ、待てッ」
 とウルスキーは博士を衝立のうしろに追いこんだ。だが、彼は衝立のうしろに、何にもない空間を発見したに過ぎなかった。そこへ逃げこんだにちがいない博士の姿がまるで煙のように消えてしまったのである。
「ワーニャ、硝子壜をもってすぐ逃げろ。ぐずぐずしていると、生命が危い」
 ワーニャは決心して硝子壜を抱《かか》えあげた。壜はわりあいに重かった。
 二人は出口の方へ向って走りだした。
 とたんにガチャンと大きな音がした。
「失敗《しま》った」
 とワーニャが叫んだが、もう遅かった。彼の抱えていた硝子壜は床の上に墜《お》ちて、粉々《こなごな》になった。
 二人はワッといって、外に飛びだした。
 どっちへ行ってよいかわからぬ四馬路《すまろ》の濃
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