の細長いショーウインドーの中の生活が始まった。彼は一歩もその中から出されなかったのだ。
 彼の目の前を過ぎゆく人に向って、SOSを叫んだ。硝子をドンドン叩いて、通行の人の注意を喚起《かんき》した。しかし誰一人、彼の方を見る者がなかった。
「変だなア。なぜ、こっちを見てくれないんだろう」
 彼は諒解《りょうかい》に苦しんだ。彼の鼻の先に男や女がとおるのである。それにも拘《かかわ》らず、誰もこっちを向いてくれない。こんな情《なさ》けない話はなかった。
 或るときは、市民の一人がショーウインドーに背をもたせかけて、大東新報を読みだした。彼は自分の失踪事件がデカデカとでてるのを知った。
「おい、ウルランドはここにいるんだ」
 とその男の背中と思うあたりの硝子を破《わ》れんばかりに叩いたが、彼は背中に蚤《のみ》がゴソゴソ動いたほども感じないで、やがて向うへいってしまった。
 三日目に、手下のワーニャが乾分《こぶん》をつれてゾロゾロと通っていった。彼は必死になって、手をふり足を動かし、ゴリラのように喚《わめ》いたが、それもやっぱり無駄に終った。
 雑沓のなかの無人島に、彼はとりのこされているのだ。普通の無人島ならば、救いの船がとおりかかることもある。だが、この細長い巷《ちまた》の無人島は、完全に人間界を絶縁《ぜつえん》されてあった。
 三度三度の食事だけは、妙な孔《あな》からチャンと差入れられた。それは子供が食べるほどの少量だったので、彼はいつもガツガツ喰った。
 排泄作用《はいせつさよう》が起ったときには、そこに差入れてある便器《べんき》に果《は》たした。はじめは雑沓《ざっとう》する大通りを前にして、とてもそんな恥《はず》かしいことは出来なかったが、どうやらこっちから往来が見えても、外からこっちが見えないと分ってからは、すこし気が楽になった。そのうち彼は往来を檻《おり》の中の猿のようにジロジロ眺《なが》めながら用を足すまでになった。
 通行人の新聞面を見ていると、いよいよ彼ウルランド氏の生命は絶望となったと出ていた。彼はもうすっかり弱りきって、腹を立てる元気もなかった。
 十一日目に、はじめて彼のうしろの壁から人の声が聞えてきた。
「悪漢《あっかん》ウルスキーよ。その硝子函《ガラスばこ》の居心地《いごこち》はどうじゃネ」
「あッ、――」とウルランド氏は顔色をかえた。それは正《
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