れてはならない。第二、煙草をすってはならない。第三に……」
「そんなことは常識だ。さあ、現場へ案内してください」
 一同は、やがて問題の第三十九号室に、足を踏み入れた。
 室内の様子は、前と同じで室内には例の赤色灯《せきしょくとう》が点《つ》いていた。ただ、顔子狗の斃《たお》れていたところには、白墨《はくぼく》で人体《じんたい》と首の形が描いてあることが、特筆すべき変り方であった。三千子は、あの日のことを、まざまざと思い出した。あやしい振動が、足の裏から、じんじんじんと伝《つたわ》ってくるような気がした。
「……顔《がん》の自殺死体のあったのは、あそこだ。われわれは四五メートル離れたこのへんに固《かたま》っていた。これは、お前方の提供した写真にも、ちゃんとそのように出て居る」
 陳程長老は、手にしていた白墨で、欄干《らんかん》の下に、大きな円《まる》を描いて、
「こんなに遠くへ離れていて、顔の首を斬ることは、手品師にも、出来ないことじゃ。それとも出来るというかね。はははは」長老は、勝ち誇ったように笑った。
 帆村探偵は、別に周章《あわ》てた様子も見せなかった。彼は、長老の方に尻を向けて、顔の倒れていた場所へ近よった。
「ほう、ちょうどこの水牛仏の前で、息を引取ったんだな。水牛仏に引導を渡されたというわけか。すると顔は、丑年生《うしどしうま》れか。ふふふん」
 帆村は、いつもの癖の軽口を始めた。そして手にしていた煙草を口に啣《くわ》えて、うまそうに吸った。
「おい、こら。煙草は許されないというのに。さっき、あれほど注意しておいたじゃないか」
 長老陳程が、顔を赤くして、とんできた。
「ほい、そうだったねえ」
 帆村は、煙草を捨てた。火のついた煙草は、しばらく水牛仏の傍《かたわら》で、紫煙をゆらゆらと高く、立ちのぼらせていた。
 そのとき帆村は、なぜか、その煙の行手に、真剣な視線を送っていた。


   幻影《げんえい》の静止仏《せいしぶつ》


(水牛仏がふりまわしているあの青竜刀は、本当に斬れそうだな。しかし、まさか顔子狗は、わざわざあそこへ首を持っていったわけではないのだ。こっちで斃《たお》れていたんだからなあ)
 帆村は、興味ありげな顔付で、じっと水牛仏が、右へ払った青竜刀を瞶《みつ》めた。帆村は、その青竜刀が、高さからいうと、ちょうど、人間の首の高さにあり、そ
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