った。
「呀《あ》っ!」
顔《がん》の身体は、まるで目に見えない板塀《いたべい》に突き当ったように、急に後へ突き戻された。とたんに彼は両手をあげて、自分の頸をおさえた。が、そのとき、彼の肩の上には、もはや首がなかった。首は、鈍い音をたてて、彼の足許《あしもと》に転《ころが》った。次いで、首のない彼の身体は、俵《たわら》を投げつけたように、どうとその場に地響をうって倒れた。
一行は、群像のようになって、それより四五メートル手前で、顔子狗のふしぎなる最期《さいご》に気を奪われていた。
遥か後方にはいたが、風間三千子は、煌々《こうこう》たる水銀灯の下で演ぜられた、この椿事《ちんじ》を始めから終りまで、ずっと見ていた。いや、見ていただけではない。
(あ、あの人が危い!)
と思った瞬間、彼女は、ハンドバックの中に手を入れるが早いか、小型のシネ撮影器を取り出し、顔子狗の方へ向け、フィルムを廻すための釦《ボタン》を押した。煌々《こうこう》たる水銀灯の下、顔子狗の最期の模様は、こうして極《きわ》どいところで、彼女の器械の中に収められたのであった。
自分でも、後でびっくりしたほどの早業《はやわざ》であった。職務上の責任感が、咄嗟《とっさ》の場合に、この大手柄をさせたものであろう。
だが、彼女は、さすがに女であった。顔子狗の身体が、地上に転ってしまう、とたんに、気が遠くなりかけた。
もしもそのとき、後から声をかけてくれる者がいなかったら、女流探偵は、その場に卒倒《そっとう》してしまったかもしれないのだった。
だが、ふしぎな早口の声が、彼女の背後から、呼びかけた。
「おっ、お嬢さん、大手柄だ。しかし、早くこの場を逃げなければ危険だ」
「えっ」
三千子は、胆《きも》を潰《つぶ》して、はっと後をふりかえった。しかし、そこには誰も立っていなかった。いや、厳密にいえば、青鬼赤鬼が、衣《ころも》をからげて、田を耕している群像が横向きになって立っていたばかりであった。
だが、どこからかその声は又言葉を続けるのであった。
「お嬢さん。おそくも、あと五分の間に、裏口へ出なければだめだ。知っているでしょう、近道を選んで、大急ぎで、裏口へ出るのだ。扉《ドア》が開かなかったら、覗《のぞ》き窓の下を、三つ叩くのだ。さあ急いで! 彼奴《きゃつ》らに気がつかれてはいけない!」
その早口の中国語
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