った。
「ははあ、お前がキンチャコフか。だいぶん俺よりも年上らしいが……」
「火の玉」少尉は、どこまでも相手を呑んでかかった。
呉越同舟《ごえつどうしゅう》
それから、この奇妙な日ソ組合せによる空中漂流がつづいた。
マイクロフォンの修理はできたけれど、これをつけても送信器は働かなかった。マイク以外に、故障ができたものらしく、専門家でない六条には、すぐさまその故障箇所を見つけることができなかった。
だから無電器械は、受信器だけが役に立った。
「ハア、××繋留気球第一号!」
といつまでもこっちを呼んでいるのが聞えたが、その声は、だんだんと強さを減少していく。それはいよいよ××陣地から遠く距《へだた》ったことを意味するのであった。
無電は、しきりに救援の飛行隊が出動したことを報じていた。
たしかに、それに違いなかった。午前二時ちかくだったであろうか、赤青の標識《ひょうしき》をつけたすこぶる快速の偵察機らしいのが一機、漂流《ひょうりゅう》気球に近づいた。
「おいキンチャコフ。俺も振るから、貴様もこの懐中電灯をもって、こういう具合に振れ。いいか」
六条は、キンチャコフにも信号をさせて、二人のうちのどっちかが偵察機に認められればいいと思ったのである。
キンチャコフは、あまり気がすすんでいなかったようであるが、それでも協力して懐中電灯を輪のように振った。
「おお、あそこを飛んでいるんだから、もう見えてもよさそうなものだが……」
と、「火の玉」少尉は、上を指した。黒暗澹《こくあんたん》たる闇をぬって、三つの飛行機|標識灯《ひょうしきとう》がうごいていく。それはだんだんこっちへ近づくように見えた。
「うまいぞ。たしかにこっちへやってくる」
「すこし変だよ。あれじゃ高度が高すぎて、気球の上を通りすぎてしまいそうだ」
キンチャコフが、なかなか理窟《りくつ》のあることをいった。
「通りすぎられて、たまるものかい。おい、今だ。信号灯をもっと振れ」
二人は、懸命に懐中電灯をうち振ったつもりであった。
だが、この飛行機は、ついにキンチャコフのいったとおり気球の上方、約五百メートル近いところを飛び過ぎ、やがてだんだん遠くなってしまった。
「畜生、とうとう行かれてしまった」
「どうも無理だよ。こんな小さな灯《あかり》じゃ仕様がない。そのうえ、千切《ちぎ》ったような雲が一ぱいひろがっていて、上からは案外|見透《みとお》しがきかないんだぜ」
キンチャコフは、得意らしく喋りたてた。「火の玉」少尉は、キンチャコフが、ソ連仕立のかなり優秀なスパイであることを見破った。そうなると、これからさらに一層、油断はならないわけだ。
やがて午前三時をすこし廻って、月が出た。それから一時間半ほどたつと、東の天が白くなった。
前夜以来、しきりに呼びつづけていた××陣地からの無電が、急に小さな音響になってしまった。そして間もなく、なんにも聞えなくなった。
それっきり救援の飛行機も、こっちへ追駈けてこなくなった。
ただ涯しなく拡がった雲海《うんかい》のうえを、気球は風のまにまに漂流しつづけるのであった。その外《ほか》に、生物の影は、なに一つとしてうつらぬ。このひろびろとした雲海は、天国へ到る道であるのかもしれない。二つの屍《しかばね》を埋《うず》めるのは、どの雲のあたりであろうかなどと、「火の玉」少尉もあまりの荒涼《こうりょう》たる天上の風景に、しばし感傷の中におちこんだのであった。
鋭い牙
「ねえ、六条。気球が上昇をストップしたようだぞ」
寒そうに身体を叩《たた》いていたキンチャコフが、送信器の解体に夢中になっている六条にいった。
「ふん、なんだか動きもしなくなったようではないか」
六条が相槌《あいづち》をうった。高度計を見ると、実に八千メートルの高空だ。いくら夏でも、これは寒いはずだ。
気球は、ぴーんと膨《ふく》れきっている。
「これじゃ天井にくっついた風船みたいで、一向面白くない」
キンチャコフが呑気《のんき》そうな口を叩いた。
「おい、貴様は無電の知識をもっとらんのかね」
六条がたずねた。
「さあ、さっぱり駄目だねえ」
と、キンチャコフは気のなさそうな返事をした。キンチャコフの方が、六条よりも死生を超越《ちょうえつ》しているらしく見える点があって、「火の玉」少尉も少々|癪《しゃく》にこたえている。しかし、単にぐうたらに生きるものと、帝国軍人としてその本分に生きるものとは、どうしてもちがうのがあたり前で、六条の方が臆病だというわけではない。
「おおっ、気球が下りだしたぞ。ああ、ありがたい。温くなるだろう。ふん、あの辺の雲の中へとびこむな」
キンチャコフがはしゃぎだした。
六条は、とうとう無電器械のことをあき
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