るくついた。真空管はキャビネットの中で光っている。彼は揚《あ》げ蓋《ぶた》をひいて、その中から長い紐線《コード》のついたマイクをとりだし、口のところへ持っていった。
「ハア、こっちは繋留気球第一号です。六条|壮介《そうすけ》が送信をしています。いま気球は、風に流されつつ、ぐんぐん上昇しています。気圧は只今、七百……」
 といって、六条が傍の夜光針《やこうしん》のついた気圧計に眺め入ったとき、突然何者とも知れず、マイクを握った彼の左手をぎゅっと掴《つか》んだ者があった。


   思わざる怪影


「ああっ、――」
 豪胆《ごうたん》をもって鳴る「火の玉」少尉も、全く思いがけないこの不意打には、腹の底から大きな愕《おどろ》きの声をあげた。
 闇夜《あんや》の空を漂流《ひょうりゅう》中のゴンドラの中には、彼ただひとりがいるばかりだと思っていたのに、意外にも意外、突然マイクを持つ手首をぎゅっと掴まれたのだから、この愕きも尤《もっと》もであった。
「だ、誰だ!」
 味方か、敵か?
「火の玉」少尉がうしろへふりむくのと、彼の左手首のうえに、焼きつくような激しい痛味を覚えるのと、それが同時であった。
「あっ、な、なにをするッ」
 といったが、手首は骨まで折れたかと思うようなひどい疼痛《とうつう》で、眼があけていられないくらいだ。でも「火の玉」少尉の眼は、その奇々怪々なる相手の姿をとらえた。
「き、貴様、何者だ!」
 怪漢は、白い歯をむきだすと、彼の背後から組みついた。ひどい剛力《ごうりき》だった。
「日本人《ヤポンスキー》、黙れ。生命が惜しければ、反抗するな」
 そういう相手の言葉は、ロシア語であった。
(ははあ、ソ連人だな!)
 この闖入者《ちんにゅうしゃ》は、さっきもいったとおり、なかなかの剛力だった。そのうえ、「火の玉」少尉は、左手首に不意打をくっていて、いまだにそれが痺《しび》れているのだった。だから力もなんにも入らない。それを承知でか、相手は六条の頸《くび》にまきつけた腕をぐんぐん締めつけてくる。
「うーむ、こいつ……」
「火の玉」少尉にとっては、二重の危難《きなん》であった。いずれも予期しなかった不意打の危難であった。たいていのものなら、もうこの辺で他愛なく気絶をしているところであるが、危難が大きければ大きいほど、強くはねかえすのが「火の玉」少尉の身上だった。彼はいま、もうすこしで息が停ろうというのに、横眼をつかって、ゴンドラの中の大切な器械器具の配列位置を頭脳の中につめていた。
「日本人、はやくくたばれ!」
 闖入《ちんにゅう》の怪ソ連人は、さらに六条の頸にまいた腕に力を入れた。
「うーむ」
 と唸《うな》って、「火の玉」少尉の上半身が後にのけぞる。
「日本人、まだ死なぬか!」
「うーむ」
「火の玉」少尉の上半身は、蝦《えび》のようにうしろにのけ反《ぞ》った。彼の背後から組みついている怪ソ連人までが、硬い少尉の頭を胸にうけかねて、ゴンドラの縁《ふち》にひどく押しつけられた。
「こら、そう反《そ》っくりかえるな。始末にわるい奴だ、うん」
 と、怪ソ連人が、六条の身体を前に押しかえしたそのときのことだった。
「えい、やっ!」
 ふりしぼるような叫びごえが、今の今まで死んだようになっていた、「火の玉」少尉の咽喉《のど》の奥からとびだした。と、彼の身体が水の中にもぐるような恰好で、すとんと沈んだ。
「わわっ、――」
 奇妙な悲鳴とともに、少尉の背後に組みついて勝ち誇っていた怪ソ連人の身体が、南京《ナンキン》花火のように一転して、どさりと前方へ飛んでいった。
 このとき「火の玉」少尉がもし手を放したとすると、怪ソ連人の身体は、ゴンドラの縁《ふち》の上をとび越えて、あっという間に、なんの掴《つか》まりどころもない空間に放りだされていたことであろう。少尉はそれを心得ていたと見え、相手の袖を手許へぐっと引張りつけたので、相手はゴンドラの角《かど》で、いやというほど尻の骨をうったまま、身体を逆《さか》さにしてずるずると籠の中にくずれ落ち、そのまま動かなくなった。なにゆえに敵を助けるのか、「火の玉」少尉の心中は測《はか》りかねた。
「どうだ、もう一度来るか」
 少尉は、足を伸ばして怪人の頭を蹴とばした。だがかの怪人は、気絶でもしているのかなんの反抗も示さなかった。
 その間にと思って、「火の玉」少尉は再びマイクをとりあげ、急ぎの報告を電波に托《たく》すつもりで、
「ハア、こっちは××繋留気球第一号の六条です。電波はつづいて出ているでしょうな。このゴンドラの中に、ソ連人が一名忍びこんでいました。どうやらゴンドラの外からのぼってきたもののようです。今気絶していますが、あとでよく調べあげて、知らせます」
 そういう少尉の声は、普段話をしているときとす
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