。
「何処へ行くのであろう」
清二は推進機に近い電動機室で、界磁抵抗器《かいじていこうき》のハンドルを握りしめて、出航命令が出た以後の、腑《ふ》におちないさまざまの事項について不審をうった。
「どうやら、いつもの演習ではないようだ」
二等機関兵である清二には、何の事情も判っていなかった。彼は上官の命令を守るについて不服はなかったけれど、一《ひ》と言《こと》でもよいから、出動方面を教えてもらいたかった。水牛《すいぎゅう》のように大きな図体《ずうたい》をもった艦長の胸のなかを、一センチほど、截《き》りひらいてみたかった。
舳手《じくしゅ》のところへは、なにか頻々《ひんぴん》と、命令が下されているのがエンジンの響きの間から聞こえたが、何《ど》んな種類の命令だか判らなかった。
だが、間もなくジーゼル・エンジンがぴたりと停って、清二の居る電動機室が急に、忙《せわ》しくなった。
「界磁抵抗開放用意!」
伝声管《パイプ》から、伝令の太い声が、聞こえた。
清二は、開閉器の一つをグッと押し、抵抗器の丸いハンドルを握った。そしていつでも廻されるように両肘《りょうひじ》を左右一杯に開いた。
「界磁抵抗開放用意よし!」
真鍮《しんちゅう》の喇叭《ラッパ》口の中に、思いきり呶鳴《どな》りこんだ。
「開放徐々に始め!」
推進機に歯車結合《ギーア・カップリング》された電動機の呻りは、次第に高くなって行った。艦体が、明かに、グッと下方に傾斜したのが判った。深度計の指針が静かに右方へ廻りだした。
「十メートル、十五メートル、……」
深度計の指針は、それでもまだ、グッグッと同じ方向に傾いて行った。
艦底[#「艦底」は底本では「海底」]の海水出入孔《かいすいしゅつにゅうこう》は、全開のまま、ドンドンと海水を艦内に呑みこんでいるらしかった。
このままでは海底にドシンと衝突《ぶつ》かるばかりだと思われた。清二は、界磁抵抗のハンドルを、全開の位置に保持したまま、早く元への命令が来ればよいがと、気を焦《あ》せらせたのだった。疑いもなく、唯今の状態は、全速力沈降《ぜんそくりょくちんこう》を続けているものであって、海岸を十キロメートルと出ていないところで、こんな操作をするのは、前代未聞《ぜんだいみもん》のことだった。
「どこかで吾が潜水艦の行動を監視している者があるのかも知れない」
清二は不図《ふと》、そんなことを考えたのだった。
それから後は、話にならないほどの、単調な日が続いた。
昼間は、絶対に水上へ浮びあがらなかった。その癖《くせ》、電動推進機には、いつも全速力がかかっていた。夜間になると、時々ポカリと水面に浮かんだが、それも極く短時間に限られていた。それはまるで乗組員を甲板に出して、深呼吸をさせるばかりが目的であるとしか思えなかった。だがその目的も充分には達せられなかったようだった。というのは、なにか見えるだろうと喜び勇《いさ》んで甲板に出てみても、いつも周囲は真暗な洋上で、灯台の灯も見えなかった。或る晩は、銀砂《ぎんさ》を撒《ま》いたように星が出ていたし、また或る夜はボッボツと、冷い雨が頬の辺を打った、それが一番著しい変化だった。長大息《しんこきゅう》を一つすると、もう昇降口から、艦内へ呼び戻されるという次第だった。
夜間の航行は、実に骨が折れた。艦長は、精密な時計と、水中聴音機《すいちゅうちょうおんき》とを睨《にら》みながら、或るときは全速力に走らせるかと思うと、また或るときは、急に推進機を全然停止させて、一時間も一時間半も、洋上や海底に、フラフラと漂《ただよ》っているというわけだった。
こんなわけで、横須賀軍港以来、二旬《にじゅん》の日数が経った。
そして或る日のこと、艦長は乗組員一同を集めて、驚くべき訓令《くんれい》を発した。
「本艦は、本日を以て、米国加州沿岸《べいこくかしゅうえんがん》に接近することができたのである」艦長の頬は生々《いきいき》と紅潮《こうちょう》していた。「本艦の任務は、僚艦一〇二及び一〇三と同じく、米国の大西洋艦隊が太平洋に廻航して、祖国襲撃に移ろうというその直前に、出来るだけ多大の損害を与えんとするものである。其の目標は、主として十六|隻《せき》の戦艦及び八隻の航空母艦である」
乗組員は、思わず「呀《あ》ッ」と声をあげかけて、やっとそれを呑みこんだ。
艦長の訓令で、いままでの不審な事実は、殆んど氷解《ひょうかい》した。航路が複雑だったのは、米国の西部海岸に備えつけられた水中聴音機や其の辺を游戈《ゆうよく》している監視船、さては太平洋航路を何喰わぬ顔で通っている堂々たる間諜船舶《かんちょうせんぱく》の眼と耳とを誤魔化《ごまか》すためだったのだ。昨夜見たあの暗い海は、すでに敵国の領海だったのであるかと、
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