隊でも、同じような不満があるらしいですな」
 とうとう「不満」という言葉を使って、参謀は有馬参謀長に、暗《あん》に警告を発した。
「うん、判ってる」参謀長は、言葉をのんだ。「だが、気をつけて、口をきけよ」
「はッ」参謀は、粛然《しゅくぜん》として、挙手《きょしゅ》の礼をした。(参謀長も、飛行隊の出動命令に、不満を持っていられるんじゃ)と思った。
「司令官の御心配は、近くに起る太平洋方面からの襲撃を顧慮《こりょ》されてのことじゃ」
「そうでもありましょう。しかし、快速をもった敵機に対して、性能ともに劣った九二式や九三式で、太刀打《たちう》ちが出来る道理がありません。帝都の撃滅は、予想以外に深刻であります」
「……」参謀長は、答えなかった。
 伝令が、パタパタと駈けてきた。
「川口町《かわぐちまち》防空隊からの報告でありますッ」
「閣下」有馬参謀長は、司令官の前に直立した。「川口町からの報告が入りました。読みあげさせましょうか」
「いや、よろしい」司令官は、不機嫌に、頭を左右に振った。
「その報告書を、こっちへ、寄越し給え」将軍は、ひったくるようにして、報告の紙片を、手にとった。
「敵国航空軍と覚《おぼ》しき約十数機よりなる飛行隊は、本町《ほんちょう》上空を一万メートルの高度をとって、午後九時五十分、北北西に向け飛行中なり。以上。川口町防空隊長、網島《あみじま》少尉」
 司令官は、紙片を、掌《てのひら》のうちに握り潰《つぶ》すとポイと屑籠《くずかご》の中に、投げ入れた。
「閣下」参謀長が、やや気色《けしき》ばんで、問いかけた。「唯今の報告は、なんでありましたか」
「出鱈目《でたらめ》じゃ」司令官は、吐き出すように云った。「それより君は、部下を、ちと静かにさせては、どうか」
「はッ」参謀長は、静かに挙手の礼をすると、元の卓子《テーブル》へ帰ってきた。
(閣下は、どうかして居られる)
 参謀長は、湯河原高級副官の姿を探しもとめたが、室内には見えなかった。
(副官までが、どうかしているナ)
 ムラムラと湧きあがってくる焦燥感《しょうそうかん》を、グッと抑《おさ》えつけ、傍《かたわら》を見ると、年若い参謀は、満面を朱《しゅ》にして、拳を握っていた。参謀長は、はッと気を取直した。
「草津参謀」彼は一人の参謀に呼びかけた。
「帝都の火災は、どういう状況にあるか」
「はいッ」参謀は、大東京区域図をバリバリ音させて、その上に、太い指を動かした。「淀橋《よどばし》区、四谷《よつや》区は、大半焼け尽しました。品川《しながわ》区、荏原《えばら》区は、目下《もっか》延焼中《えんしょうちゅう》であります。下町《したまち》方面は、むしろ、小康状態に入りました」
「放送局との連絡は、ついたろうか」
「無線連絡が、もう間もなく恢復するでありましょう」
「空中襲撃の解除警報を出す用意は、出来ているな」
「はいッ。すこし、困難はありますが、やれる見込みです」
「では、閣下に、お願いして見よう」
 参謀長は、又立って、司令官の前に出た。
「閣下、解除警報を出したいと考えます」
「解除警報!」司令官は、大きく眼を開いた。「まだ早すぎる。確乎《かっこ》たる報告が集らぬではないか」
「閣下。例の怪放送者は、すでに先手を打って、敵機の退散をアナウンスして居ります。況《いわ》んや、唯今、川口町の報告によれば、敵軍は、明かに、機首を他へ向けています」
「君は、今の報告を盗み見たかッ」
「閣下、盗み見たとは、残念な仰《おお》せです。参謀長は、あらゆる報告に、一応目をとおす職責がございます」
「ウム」
「此《こ》の上は、速かに解除警報の御許可を、お与え下さい。市民は、軍部の、正しいアナウンスを、渇望《かつぼう》して居ります。一刻おくれると、市民の混乱は拡大いたします」
「敵国空軍が、川口の上空から、引返して来たとしたら、どうするかッ」
「そのときは、又、警報を出します。しかし以前の監視哨の報告三種を合わせて、敵軍は日本海方面に引揚を開始していることは、明瞭であります」
「確証がつかないのに、司令官として、解除警報を出すわけにはゆかぬ」
「どうあっても?」
「くどい、参謀長!」
 俄然、司令部の広間は、殺気立《さっきだ》った。
 将校連は、二派に別れて、司令官と、参謀長の背後に、睨《にら》みあった。
 何という不祥《ふしょう》な出来ごとだろう。帝都の運命が累卵《るいらん》の危きにあるのに、その生命線を握る警備司令部に、この醜い争闘が起るとは。
 流石《さすが》に、教養のある将校たちのこととて、無暗に、拳銃を擬《ぎ》したり、軍刀をひらめかしたりはしなかったが、司令官か、参謀長かの一言さえあれば、刹那《せつな》に、司令部の広間には、流血の大惨事が、捲きおこるという、非常に緊迫した重大な危機
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