よ。夜店《よみせ》でバナナを買ってきたんでしょう」
「なに、バナナか?」父親は手を引込めた。
「バナナじゃありませんよ、僕が工場で拵《こしら》えてきたんですよ」
「僕知ってらあ。きっとゴム靴だよ。もうせん、僕に拵えてくれたねえ、弦《げん》兄さん」
「ゴム靴だって?」父親は顔を硬《こわ》ばらせた「鼻緒屋《はなおや》の倅《せがれ》が、ゴム靴を作る時代になったか」
「黙って開けてごらんなさい、お父さんは、きっと驚くでしょうよ」
新聞紙の包みは、嫂《あによめ》の手から隣へ廻って、父親の膝の上へ順おくりに送られた。
長造が、新聞紙をバリバリあける手許《てもと》に、一座の瞳《ひとみ》は聚《あつま》った。二重三重《ふたえみえ》の包み紙の下から、やっと引出されたのは、ゴムと金具《かなぐ》とで出来たお面《めん》のようなものだった。
「こりゃ、お前が造ったのかい、一体、これは何だい」父親は狐《きつね》に鼻を摘《つま》まれたような顔を弦三の方に向けた。
「それは、瓦斯《ガス》マスクですよ。毒瓦斯|除《よ》けに使うマスクなんです」
「瓦斯マスク! ほほう、えらいものを拵《こしら》えたものだね。近頃、こんな玩具《がんぐ》が流行《はや》りだしたってえ訳かい」
「玩具《おもちゃ》じゃありませんよ、本物です。お父さん使って下さい。顔にあてるのはこうするのです」
一座が呆然《ぼうぜん》としている裡《うち》に、弦三は大得意で立ちあがった。
「いや、もう沢山、もう沢山」長造は、そのお面みたいなものを、弦三が本気で被《かぶ》せそうな様子を見てとって、尻込《しりご》みしたのだった。「わしはもういいから、素六にでも呉れてやれ、あいつ、野球のマスクが欲しいってねだっていたようだから丁度いい」
「野球のマスクと違いますよ、お父さん」弦三は躍起《やっき》になって抗弁《こうべん》したのだった。「いまに日本が外国と戦争するようになるとこの瓦斯《ガス》マスクが、是非必要になるんです。東京市なんか、敵国の爆撃機が飛んできて、たった五|噸《トン》の爆弾を墜《おと》せば、それでもう、大震災のときのような焼土《しょうど》になるんです。そのとき敵の飛行機は、きっと毒瓦斯を投げつけてゆきます。この瓦斯マスクの無い人は、非常に危険です。お父さんは、家で一番大事な人だから第一番に、これを作ってあげたんですよ」
「うん、その志《ここ
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