大東京区域図をバリバリ音させて、その上に、太い指を動かした。「淀橋《よどばし》区、四谷《よつや》区は、大半焼け尽しました。品川《しながわ》区、荏原《えばら》区は、目下《もっか》延焼中《えんしょうちゅう》であります。下町《したまち》方面は、むしろ、小康状態に入りました」
「放送局との連絡は、ついたろうか」
「無線連絡が、もう間もなく恢復するでありましょう」
「空中襲撃の解除警報を出す用意は、出来ているな」
「はいッ。すこし、困難はありますが、やれる見込みです」
「では、閣下に、お願いして見よう」
参謀長は、又立って、司令官の前に出た。
「閣下、解除警報を出したいと考えます」
「解除警報!」司令官は、大きく眼を開いた。「まだ早すぎる。確乎《かっこ》たる報告が集らぬではないか」
「閣下。例の怪放送者は、すでに先手を打って、敵機の退散をアナウンスして居ります。況《いわ》んや、唯今、川口町の報告によれば、敵軍は、明かに、機首を他へ向けています」
「君は、今の報告を盗み見たかッ」
「閣下、盗み見たとは、残念な仰《おお》せです。参謀長は、あらゆる報告に、一応目をとおす職責がございます」
「ウム」
「此《こ》の上は、速かに解除警報の御許可を、お与え下さい。市民は、軍部の、正しいアナウンスを、渇望《かつぼう》して居ります。一刻おくれると、市民の混乱は拡大いたします」
「敵国空軍が、川口の上空から、引返して来たとしたら、どうするかッ」
「そのときは、又、警報を出します。しかし以前の監視哨の報告三種を合わせて、敵軍は日本海方面に引揚を開始していることは、明瞭であります」
「確証がつかないのに、司令官として、解除警報を出すわけにはゆかぬ」
「どうあっても?」
「くどい、参謀長!」
俄然、司令部の広間は、殺気立《さっきだ》った。
将校連は、二派に別れて、司令官と、参謀長の背後に、睨《にら》みあった。
何という不祥《ふしょう》な出来ごとだろう。帝都の運命が累卵《るいらん》の危きにあるのに、その生命線を握る警備司令部に、この醜い争闘が起るとは。
流石《さすが》に、教養のある将校たちのこととて、無暗に、拳銃を擬《ぎ》したり、軍刀をひらめかしたりはしなかったが、司令官か、参謀長かの一言さえあれば、刹那《せつな》に、司令部の広間には、流血の大惨事が、捲きおこるという、非常に緊迫した重大な危機
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