した。
「義兄さん、お天気が定まったせいか、日本海も太平洋と同じように穏かですね」
「ウン、見懸《みかけ》だけは穏かだなァ……」
 国彦中尉は、なんとなく奥歯に物の挟《はさ》まったような言いかたをして、妙に黙った。
「見懸は穏かで、本当は穏かでないんですか。どういうわけですか、義兄さん!」
「ウフフ、旗男君にはわかっとらんのかなァ。君はいま、沖を見て挙手の礼をしていたね。あれは日本海を向こうへ越えた国境附近で、御国《みくに》のために生命《いのち》を投げだして働いている、わが陸海軍将兵のために敬意を表していたのかと思ったんだが、そうじゃなかったのかね」
「ええ、敬礼は太陽にしていたんです。……がその国境で何かあったんですか。例の国境あらそいで、世界一の陸空軍国であるS国と小ぜりあいをしているって聞いてはいましたが、……いよいよ宣戦布告をして戦争でも始めたのですか」
「さあ、何ともいえないが、とにかく穏かならぬ雲行《くもゆき》だ。それにこれからは、昔の戦争のように、前以《まえもっ》て戦《いくさ》を始めますぞという宣戦布告なんかありゃしないよ。S国の極東軍と来たら数年前の調べによっても、たいへんな数で、わが中国東北部|駐屯軍《ちゅうとんぐん》の六倍の兵力を国境に集め、飛行機も一千台、ことに五トンという沢山《たくさん》の爆弾を積みこむ力のある重爆撃機が、数十台もこっちを睨《にら》んでいる。そしていざといえば、国境を越えて時速三百キロの速力で日本へやって来て爆弾を撒《ま》きちらした上、ゆうゆうと自国へ帰ってゆくことが出来る。実に凄《すご》いやつだ。そんな物凄いやつを遠いところから、わざわざ日本の近くにもって来ているし、軍隊をしきりに国境近くに集め、毎日のように中国東北部をおびやかしている。もう宣戦布告ぬきの戦争が始まっているようなものだ。お天気が定まってくると油断がならない。昔、蒙古《もうこ》の大軍が兵船を連ねて日本に攻めてきたときには、はからずも暴風雨に遭《あ》って、海底の藻屑《もくず》になってしまったが、今日ではお天気の調べがついているから、暴風雨などを避けるのは訳のないことだ。お天気の続くことが分かったら、いつやって来るか知れない」
「いやだなあ! お天気はもう三日も続いているのですよ。するとこれは危いのかな。ちっともそんな気はしないのだけれど……」
 旗男はクルリと寝
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