味《きみ》のわるいのは、この部屋の赤や黄を欠《か》く照明と防音装置だった。それにあとで検事たちも気がついたことだが、気圧がかなり低かった、係官のなかには、鼓膜《こまく》がへんになって、頭を振っている者もあった。
 博士は、係官を手まねきして、陳列棚の前を一巡《いちじゅん》した。
 陳列棚のうちそのドアが開かれて、壁の中におし入れてあるものは、ガラス容器が見られた。検事や警部は、前へ進んで、一生けんめいにその中をのぞきこんだ。
 ふたりは、目を見あわせた。
 ガラス箱の中には、下の方にかたまったゼラチンのようなものが、三センチほどの厚さで平《たい》らな面を作っており、その上に、つやのある毛よりも細い金属線らしいものがひとつかみほど、のせてあった。
(何でしょうか)
(何だかわからないねえ)
 警部と検事とは、目だけでそんなことをかたりあった。
 それに類するものが、他のガラス箱の中でも見られた。
 警部は検事に耳うちをした。それから警部は針目博士を手まねいた。
「これは何ですか。説明を求めます」
 警部が声を出したので――その声はかれ、川内警部にしては低い声だったが、針目博士の顔色をかえさせた。博士はあわてて警部を戸口に近いところへひっぱって行き、
「こまるですなあ、そう大きな声を出しては……」
「職権《しょっけん》を行使《こうし》しているのに対し、きみはそれをとやかくいう権利はない」
「こまった人だ。あとで後悔しても追っつかんのですぞ」
 と博士は悲しげにまばたいて、
「これらのものが何であるかは、さっきもちょっといいかけましたが、あとで隣の部屋で申しあげます」
「いや、いまいいたまえ、あとではごまかされる」
 そういっているとき、検事もふたりのそばへ歩みよった。
「この部屋には、よほど大切な試験材料がおいてあるらしいね」
「試験材料というよりも、わたしが全霊全力《ぜんれいぜんりょく》をうちこんで作った試作生物《しさくせいぶつ》なんです」
「あの針金《はりがね》の屑《くず》みたいなものは何ですか。あの中に、その生物がかくれているんですか」
「そうではないのです……。いくどもお願いしますが、説明はあとで隣室《りんしつ》ですることでおゆるしください。もしもかれらをくるわせて、悪魔のところへやるようなことがあったら、まったく天下の一大事ですからね」
 警部が検事のわきばら[#「わきばら」に傍点]をついた。やはりこの博士は気が変だよというつもりだった。警部の顔に、決心の色が見えた。かれは、いつもの大きな声になって、博士にいった。
「陳列棚に戸のしまっている棚がたくさんある。あれもいちいち開《ひら》いて見せなさい」
 博士のおどろきは絶頂《ぜっちょう》にたっした。かれはふるえる自分の指をくちびるに立てた。そしてあきらめたというようすで、ふたりをさしまねいた。
 博士のうしろに勝ちほこった川内警部と、いよいよむずかしい顔の長戸検事がついていく。


   おそろしい異変


 針目博士は、陳列棚《ちんれつだな》の前に立って、戸のしまっている棚を一《ひ》イ二《ふ》ウ三《み》イと八つかぞえた。その小さい戸の上には、骸骨《がいこつ》のしるしと、それから一、二、三の番号とが書きつけてあった。
 博士は、用心ぶかく「骸骨の一」の戸を、しずかに手前へ引いた。
 中には、おなじようなガラス器があり、それの中に見られたものは、よく見ないとわからないほどの細い針金でもって、だ円形《えんけい》のかごのような形を、あみあげたものだった。
 検事にも警部にも、それはすこしも、おどろきをあたえないものだった。
「骸骨の二」の戸を開くと、そこにもやはり細い針金ざいくのかごのようなものがあった。これは三稜《さんりょう》の柱《はしら》のようであった。
 川内警部は、早くもその前を通りすぎて、つぎなる戸の前へ行ったが、長戸検事はその前に足をとどめて、首を横にかしげた。彼はその三角形の柱が、なんだか背のびをしたように感じたからである。
「骸骨の三」には、やはり針金で、クラゲのような形をしたものがはいっていた。警部はいよいよがまんがならないというふうに、鼻をならした。博士がおどろいて、警部の方をふりかえり、嘆願《たんがん》するようにおがんだ。それから「骸骨の四」の戸のまえへ進んで、それを開いた。
 とたんに博士の顔が、大きなおどろきのためにゆがんだ。博士いがいの者にはわからないことだったが、「骸骨の四」のガラス箱の中はからっぽだったのである。
 博士は顔色をかえたまま、係官をつきのけるようにして、左側の壁にはめこんである配電盤の前にかけつけた。そしてほうぼうのスイッチを入れたり、計器の針の動きをにらんだり、ブラウン管の緑色の光りの点の位置を、目盛りで読んだりした。
「針目さん。なにか起こったのですか」
 検事が博士のそばへ寄って、低い声でいった。
「大切にしていたものが、なくなりました。いったいどうしたのか、わけがわからない……」
 すると川内警部がやってきて、博士の腕をむずとつかんだ。
「きみ、ごまかそうとしたって、そうはいかないよ。あと骸骨《がいこつ》の戸《と》は五、六、七、八と四つあるじゃないか。早く開いて見せなさい」
「あ、そんな大きな声を出しては――」
「これはわしの地声《じごえ》だ。どんなでかい声を出そうと、きみからさしずはうけない」
 警部がどなるたびに、配電盤の計器の針がはげしく左右にゆれた。
 そのときだった。室内にいた者はきゅうにひどい頭痛《ずつう》にみまわれた。誰もかれも、ひたいに手をあてて顔をしかめた。
 それと同時に、骸骨のしるしのつけてあった陳列棚から、すーっと黒い煙が立ちのぼった。しかし「骸骨の四」のところからは出なかった。
「もう、いけない。危険だ。みなさん、外へ出てください」
 博士が叫んで、さっき一同のはいって来た戸口の方をゆびさした。しかしその戸は、しっかりしまっていた。
「どうしたんです、針目博士」
 検事がおどろいてたずねた。
「もうおそいのです。警部さんが、この部屋にねむっていた大切なものの目をさましてしまった。えらいことが持ちあがるでしょう。早くその戸口から逃げてください」
 そういう間も博士は、まん中にすえてあったテーブルの横戸《よこど》を開き、その中から潜水夫のかぶと[#「かぶと」に傍点]のようなものを引っ張り出して、すっぽりとかぶった。それから両手に、大げさに見えるゴムの手袋をはめ、同じくテーブルの横からたいこ[#「たいこ」に傍点]に大きなラッパをとりつけたようなものをつかみ出し、たいこの皮のようなところを棒で力いっぱいたたきつづけた。しかしそれは音がしなかった。そのかわり、ラッパのような口からは、銀白色《ぎんはくしょく》の粉《こな》が噴火《ふんか》する火山灰《かざんばい》のようにふきだし、陳列棚の方からのびてくるきみのわるい黒い煙をつつみはじめた。
 黒い煙は、いったん銀白色の膜《まく》につつまれたが、まもなくそれを破って、あらしの黒雲《くろくも》のように――いや、まっくろな竜《りゅう》のように天じょうをなめながら、のたくりまわった。このとき頭痛が一段とひどくなって、もう誰も立っていられなかった。いや、例外がある。針目博士だけは、足をぶるぶるふるわせながらも立っていた。
「でよう。この部屋からでよう」
 長戸検事が叫んだ。すると川内警部ははっていって戸口を押した。戸口はびくともしなかった。
 それを博士が見たものと見え、とぶようにかけて来て、ハンドルをまわして戸をあけると、五人はあらそうようにして、外へとび出した。
 五人の係官が出てしまうと、戸はもとのようにしまった。博士がしめたのである。
 検事たちは、まだ二つのドアを開かねばならなかった。文字どおり必死で、ようやくドアを開いて、第一研究室へ出ることができた。一同の足は、そこでもとまらなかった。あきれ顔の人たちや他の警官の前をすりぬけて、一同は庭へころげ出た。
 そしてほっと一息ついたおりしも、天地もくずれるような音がして、目の前にものすごい火柱《ひばしら》が立った。第二研究室が、大爆発を起こしたのだった。なにゆえの爆発ぞ。針目博士はどうしたであろうか。


   事件|迷宮《めいきゅう》に入る


 第二研究室の爆発のあと、針目博士のすがたを見た者がない。
 爆発による被害は、さいわいにも第二研究室だけですんだ。それはまわりの壁が、ひじょうにつよかったせいで、爆発と同時に、すべてのものは弱い屋根をうちぬいて、高く天空《てんくう》へ吹きあげられ、となりの部屋へは、害がおよばなかったわけだ。
 焼跡は一週間もかかって、いろいろ念入りにしらべられた。
 だが、この室内にあったものは、すべてもとの形をとどめず、灰みたいなものと化《か》していた。よほどすごい爆発を起こし、圧力も熱もかなり出たらしい。なにしろ鋼鉄《こうてつ》の棒《ぼう》ひとつ残っていないありさまだった。
 捜査は、とくに針目博士の安否《あんぴ》に重点《じゅうてん》をおいておこなわれたが、前にのべたように博士のすがたは発見できなかった。また人骨《じんこつ》の一片《いっぺん》すら見あたらなかった。
 もしや博士は地下室へでものがれたのではないかと、焼跡《やけあと》を残りなく二メートルばかり掘ってみたが、出てくるものは灰と土ばかりで、なんの手がかりもなかった。
「どうもこのようすでは、博士は爆発とともにガス体《たい》となり、屋根をぬけて空中へふきあげられちまったんじゃないかね」
 川内警部は、おしいところで重大容疑者《じゅうだいようぎしゃ》に逃げられてしまったという顔で、こういった。
 長戸検事はしょんぼりと立ちあがった。
「みんな引揚《ひきあ》げることにしよう。もうわれわれの力にはおよばない」
 これをもって、お三根殺害事件《みねさつがいじけん》をはじめ二つの怪傷害事件《かいしょうがいじけん》も、いまはまったく迷宮入《めいきゅうい》りとなってしまった。
 だが、事件捜査は、ほんとに終ってしまったわけではなかった。
 その筋では、どういう考えがあったものか、この事件の捜査をこれまでどおり検察当局の手でつづけるとともに、それと平行して、私立探偵の蜂矢十六《はちやじゅうろく》に捜査を依頼したのであった。
 私立探偵蜂矢十六!
 この若い探偵について、一般に知る人はすくない。しかし検察係官の中には、蜂矢十六を認めている人が、かなりある。かれの特長は、科学技術と取り組んでおそれないこと、かんがするどいこと、推理力にすぐれていること、それから、ひとたび獲物《えもの》の匂《にお》いをかいだら、猟犬《りょうけん》のように、どこまでも追いかけ、追いつめることなどであった。
 だがかれにも欠点はあった。それはまず第一に年が若いために、古いものにあうとごまか[#「ごまか」に傍点]されやすいこと、どんどん走りすぎて足もとに注意しないために、溝《みぞ》へおっこちるようなことがあること、すこしあわてん坊であること、それからタバコをすいすぎることなどであった。かれはひとりの少年を助手にもっていた。それは小杉二郎《こすぎじろう》という、ことし十四歳になる天才探偵児《てんさいたんていじ》であって、この少年がいるために、蜂矢はずいぶんあぶない羽目から助かったり、難事件をとくカギをひろってもらったりしている。
 しかし蜂矢探偵は、めったにこの少年とともに外をあるかない。ふたりはたいていべつべつにわかれて仕事をする。これは蜂矢探偵の考えによるもので、べつべつにはなれていたほうが、おたがいの危険のときに助けあうこともできるし、また事件の対象を両方からながめるから、ひとりで見たときよりも、正しく観察することができるというのであった。
 これはなかなかいい考えであった。
 さて蜂矢十六は、この事件のこれまでのあらましを、長戸検事の部屋で、検事からひと通り聞いた。検事は人格の高い人であったから、自分たちの失敗やら、とくことのできなかったことを、つ
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