そういわれて、検事も警部のいう通りだと思った。そこで一行は奥へ進むこととなった。
大きな引出《ひきだし》
この部屋から奥へ通ずるドアが二つあった。左手についているのは、物置へ通ずるもので、これはあとで捜査《そうさ》することとなった。
まっ正面のドアのむこうに、博士の一番よく使うひろい実験室があった。一行はドアを開いてその部屋へ通った。
それは十坪ほどあるひろい洋間だった。
ざつぜんと器械台がならび、その上にいろいろな器械や器具がのっている。まわりの壁は戸棚と本棚とで占領されている。天じょうは高く、はじめは白かった壁であろうが、灰色になっており、大きな裂《さ》け目《め》がついている。
まえの部屋もそうであったが、この部屋にも窓というものがない。天じょうの上の古風なシャンデリアと、四方の壁間にとりつけられた、間接照明灯《かんせつしょうめいとう》が、影のない明かるい照明をしている。
「この部屋は、何のためにあるのですか」
検事が針目博士に質問した。ここには、まえの部屋で見たような、奇怪な標本が目にうつらないので、検事はいささか元気をもりかえしたかたちであった。
「ごらんになるとおり、ぼくが実験に使う部屋です」
「どういう実験をしますか」
「どういう実験といって――」
と博士は笑いだした。
「いろんな実験です。数百種も、数千種も、いろいろな実験をこの部屋ですることができます。みんな述《の》べきれません」
「その一つ二つをいってみてください」
検事はあいかわらずがんばる。
「そうですね。細胞の電気的反応をしらべる実験を、このへんにある装置をつかってやります。もうひとつですね。ここにあるのは生命をもった頭脳から放射される一種の電磁波を検出する装置です。ことに、劣等な生物のそれに対する装置です。ことに、劣等な生物のそれに対して検出しやすいように、組み立てたものであります。これぐらいにしておきましょう。おわかりになりましたか」
「今のところ、それだけうかがえばよろしいです。それでは室内をいちおう捜査しますから、さようにご承知ねがいたい」
「職権をもってなさるのですから、とめることはしません。しかしたくさんの精密器械があるのですから、そういうものには手をつけないでください。万一手をつける場合は、ぼくを呼んでください。いっしょに手を貸して、こわさないようにごらんに入れますから」
「参考として、聞いておきます」
「参考として聞いておく? ふん、あなたがたに警告しておきますが、この部屋の精密器械に対して、ぼくの立ち合いなしに動かして、もしもそれをこわしたときには、ぼくは承知しませんよ。場合によって、あなたがたをこの部屋から一歩も外に出さないかもしれませんぞ」
針目博士は、にわかにふきげんとなって、きびしい反抗の態度をしめした。そしてかれは、すみにすえてある大机の向うへ行って、どこかこわれているらしい回転いすの上に、大きな音をたてて腰をかけた。そしてタカのような目つきになって、検事たちの方へ気をくばった。
検事は、こんな場合にはよくなれているので、相手がかんかんになればなるほどこっちは落ちつきを深めていった。そして部下たちに、この部屋をじゅうぶんに捜索し、れいの事件に関係ありと思われる証拠物件があったら、さっそく検事を呼ぶようにと命令した。
それから捜査がはじまった。一同は、これまであつかいなれない器械器具るいだけに、どうしらべてよいのやら、こまっているようであった。しかしこころえ顔の係官たちは、床の上にはらばいになって器械台の下をのぞきこんだり、戸棚の引出《ひきだし》をぬきだしたりして、どんどん仕事を進めていった。
だが、思うようなものはすぐには見つからなかった。
この部屋の、博士がいま腰をおろしているのと、ちょうど対角線上の隅《すみ》にあたるところに、一部に黒いカーテンがおりていた。それを開いて中へ入った川内警部は、そこにもやはり大きな引出が、三段十二個になってならんでいるのを発見した。その引出は、そうとう大きかった。しかしかぎもかかっていなかった。引出にはそれぞれ番号札がついていた。
警部が、その引出のひとつに手をかけたとき、誰も気がつかなかったが、針目博士の口のあたりには、あやしいうす笑いがうかんだのであった。もちろん川内警部は、それに気がつくはずもなく、引出のとってに力をいれて、ぐっと引きだした。
「おや、これは何だ!」
警部は、すっとんきょう[#「すっとんきょう」に傍点]な声をあげた。彼の顔からすっかり血の気が引いてしまった。
見よ、その半びらきになった引出の中には、黄いろくなった人間の足が二本ならんでいた、いや、足だけではない。裸体《らたい》のままの死骸《しがい》がそこにはいっているにちがいなかった。
事件はいよいよ奇怪な段階に突入した。いったいこれは何者の死体なのであろう。針目博士の身辺にいよいよ疑問の影がこい。
警部じれる
「おう、ここにも死骸《しがい》がかくしてある」
警部のそばにいた若い巡査が、おどろきの声をあげた。
針目博士は、しらぬ顔をして、回転いすに腰をかけている。
警部は、その死骸いりの大きな引出をひっぱり出した。消毒薬くさいカンバスにおおわれて若い男の死体がはいっていた。しかしその男の頭蓋骨は切りとられていて、その中にあるはずの脳髄もなく、中はからっぽであった。
警部は、この死体が、学術研究の死体であることに気がついた。
ねんのために、おなじような他の引出をかたっぱしからひっぱり出してみた。するとほかに、男の死体が一つ、女の死体が二つ、はいっていることがわかった。
「この死体は、どうして手にいれましたか」
川内警部は、やっぱりそのことを針目博士にたずねた。
「研究用に買い入れたんです。証書もあるが見ますか」
「ええ、見せていただきましょう」
警部はけっきょくその死体譲渡書《したいゆずりわたししょ》が、正しい手つづきをふんであることをたしかめた。
死体がこの部屋に四つある。そのうえに、もう一つなまなましい死体を、博士はほしく思ったのであろうか。
警部は、針目博士がいよいよゆだんのならない人物に見えてきた。このうえは、こんどの事件に直接関係のある証拠をさがしだして、なにがなんでも博士を拘引《こういん》したいと思った。
「針目さん。あなたのお使いになっている部屋は、まだありますか」
長戸検事が、タバコのすいがらを指さきでもみ消して、博士にたずねた。
「あとは、第二研究室と倉庫と寝室の三つです。やっぱり見るとおっしゃるんでしょう」
「そうです、見せていただきますよ」
「どうしても見るんですか」
博士の顔がくるしそうにまがった。
「見せろというなら見せますが、あなたがたがこの室や標本室でやったように、室内の物品に無断《むだん》で手をつけるのは困るのです。じつは第二研究室では、ぼくでさえ、非常に注意して、足音をしのび、せきばらいをつつしみ、はく呼吸《いき》もこころしているのです」
「それはなぜです。なぜ、そんなことをする必要があるのですか」
長戸検事が、口をはさんだ。
すると博士は、吐息《といき》とともに、遠いところをながめるような目つきになって、
「おそらく今、世界でいちばん貴重《きちょう》な物が、そこに生まれようとしているのです。荘厳《そうごん》と神秘《しんぴ》とにつつまれたその部屋です。あなたがたは、もしその荘厳神秘の中にひたっている主《あるじ》を、すこしでも、みだすようなことがあれば、あなたがたはとりもなおさず、地球文明の破壊者《はかいしゃ》、ゆるすべからざる敵でありますぞ」
それを聞いていた川内警部は、口のあたりをあなどりの笑《え》みにゆがめて、
(ふん、邪宗教《じゃしゅうきょう》の連中が、いつも使うおどかしの一手だ、なにが神秘《しんぴ》だ。わらわせる)
と、心の中でけいべつした。
「なんです、生まれ出ようとしている荘厳神秘のあるじ[#「あるじ」に傍点]というのは……」
検事は、顔をしかめて、博士を追う。
「生命と思考力とをもった特別の細胞が、人間の手でつくられようとしているのだ。もしこれに成功すれば、人間は神の子を作ることができる」
博士は、わけのわからないことをつぶやく。
「カエルの脳髄《のうずい》を切りとって、それを他の動物にうつしうえることですか」
検事は、一世一代の生命科学の質問をこころみる。
「そんなことはいぜんから行われている。ぼくが研究していることは、すでに存在する生命を、他のものに移し植えることではない。生命を新しくこしらえることだ。生命の創造だ。細胞の分裂による生命の誕生とはちがうのだ。それは神が、神の子をつくりたもうのだ。それではない、この場合は、人間の意志のもと、人間の設計によって、新しい生命を創造するのだ。ローマの詩人科学者ルリレチウスの予言したことは、二千年を経《へ》たいま、わが手によって実現されるのだ。自然科学の革命、世界宗教の頓挫《とんざ》、人間のにぎる力のおどろくべき拡大……」
川内警部は、にがり切って長戸検事のそで[#「そで」に傍点]をひいた。
「検事さん、あれは気が変ですよ。ちんぷんかんぷんのねごと[#「ねごと」に傍点]はやめさせて、となりの部屋部屋を、どんどん洗ってみようじゃありませんか。さもないと、この事件はさっぱり片づきませんよ。迷宮入《めいきゅうい》りはもういやですからね」
そういわれて、長戸検事も警部の意見にしたがう気になった。さっぱりわけのわからない博士のうわごと[#「うわごと」に傍点]に、頭痛のするのをこらえているのは、ばかな話だと思った。
検事は、つぎの部屋を見るから案内するようにと、博士にいった。博士は、いす[#「いす」に傍点]からのそりと立ち上がった。
どんな光景が、つぎの部屋に待っていることか。
三重《さんじゅう》のドア
第二研究室へはいりこむのは、たいへんめんどうであった。
ドアだけでも、三重になっていた。
しかもそのドアは、どういう必要があってかわからないが、大銀行の地下大金庫のドアのように、厚さが一メートル近くあるものさえあった。第三のドアが、いちばんすごかった。
それをあけると、がらんとした部屋が見えた。水銀灯《すいぎんとう》のような白びかりが、夜明け前ほどのうす明かるさで、室内を照らしつけていた。
博士は、らんらんとかがやく眼をもって、係官たちの方をふりかえった。そして、自分のくちびるに、ひとさし指をたてた。それからその指で、自分の両足をさした。いよいよ室内へはいるが、無言《むごん》でいること、足音をたてないことを、もういちど係官たちにもとめたのであった。
それから博士は、足をそっとあげて、室内へはいった。
長戸検事も、それにならって、しずかに足をふみいれた。
川内警部は、ことごとに、鼻をならしたり、舌打《したう》ちをしたりして、針目博士《はりめはくし》に反抗の色をしめしていたが、第二研究室にはいるときだけは、検事にならって、しずかにはいった。
そのあとに、三人の部下がはいった。
はいってみると、この部屋は天じょうがふつうの部屋の倍ほど高く、ひろさは三十坪ばかりであった。がらんとした部屋と思ったが、それは入口の附近の壁を見ただけのこと、それはいちめんに蝋色《ろういろ》に塗られて、なにもなかった。
左を向いて、奥正面と、右の壁とが、陳列室よりも、もっとひろい棚《たな》があり、まえにドアつきの四角い陳列棚《ちんれつだな》が、それぞれ小さい番号札をつけて、整然とならんでいた。壁のいちめんに、百個ぐらいの棚がある。
左の壁は、電気装置のパネルが、ところせましとばかりはめこんであり、背の高い腰かけが一つおいてある。
部屋のまん中に、箱がたのテーブルがひとつおいてある。そしてその上に、ガラスでつくった標本入れの箱が一つのっている。
これだけの、べつに目をうばうほどの品物も見あたらない部屋だったが、気
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