るが、もう誰も以前のように、その綱わたりが成功するか失敗するかについて、手に汗をにぎっていなかった。成功するのは、もうあたりまえといってよかった。
ところが、その予想が狂ったのである。二十世紀茶釜は、綱のまん中まできたとき、とつぜんすうーッと下に落ちていった。
がちゃーン。
金属的なひびきがして、二十世紀茶釜は、舞台のゆかにあたってこわれてしまった。
「やあ、茶釜がこわれた」
「ようよう、芸がこまかいぞ。二十世紀茶釜は、このとおり種もしかけもありませんとさ」
「ああ、そうか。わっはっはっはっ」
見物席のわきたつ中に、きも[#「きも」に傍点]をつぶして、その場にぶっ倒れそうになったのは、興行主《こうぎょうしゅ》の大学生|雨谷《あまたに》だった。かれは、こわれた釜のそばへかけより、ひざを折って破片《はへん》をひろいあつめ、むだとは知りつつも、その破片をつぎあわしてみた。
だめだった。二十世紀茶釜はもとのとおりにならなかった。かれは落胆《らくたん》のあまり、場所がらをもわきまえないで、舞台にぶっ倒れて、おいおいと泣きだした。
「おい、あそこにあやしい奴がいる。逃げるつもりらしい。逃がすな」
そういったのは、長戸検事であった。
かれはさすがに、職掌《しょくしょう》がら落ちついていて、あのような大椿事《だいちんじ》のときにもあわてないで、ひとりのあやしい人物をみとめたのだ。その人物は、舞台のすぐ前にいて、いす席にはつかず、たって見物していた。そしてあの事件の起こるすこし前になって、かれは、吊皮《つりかわ》でくびから吊《つ》って小脇にかかえていたカバンぐらいの大きさの黒い箱を胸の前へまわした。その箱と舞台とをはんぶんにのぞきながら、かれはその箱を手でいじっていた。そのうちに、かれがさっと顔をきんちょうさせた。そのせつなに、舞台では二十世紀茶釜が、綱を踏みはずして下に落ちたのであった。
するとその人物は、いっしゅん硬直《こうちょく》していた。快心《かいしん》のほおえみをもらしたようにも思えたが、なにしろその人物は、茶色の、型のくずれたお釜帽子《かまぼうし》をまぶかにかぶり、大きな黒めがねをかけ顔の下半分は、黒いひげでおおわれていたので、その表情をはっきりたしかめることができなかった。
(あやしい奴!)
検事の目が、はりついたようにじぶんの上にあると知ってか知らないでか、その怪人物は席をはなれて、わきたつ見物人たちをかきわけて場外へ出ようというようすだ。そこで長戸検事は、蜂矢探偵に、
「あそこに、あやしい奴がいる。逃がすな」
と声をかけたのであった。
検事が席を立って走りだしたので、蜂矢はかれのあとにしたがわないわけにいかなかった。だがこのとき蜂矢十六は舞台の方へ、かなりひきつけられていたのである。その心をあとへ残し、助手の小杉少年にそれッと目くばせをして、わずかのことばを少年の耳にのこすと、蜂矢は検事のあとを追いかけた。
小屋の出口のところで、検事は不良青年数名《ふりょうせいねんすうめい》につかまって、なぐりっこをやっていた。そこへ蜂矢はとびこんで、不良青年たちをあっさりとかたづけた。そしで検事を助けて、場外へでた。
「あ、あそこにいる」
怪人物は公園から町の方へ逃げだすところだった。かれはちらりとうしろを見た。
蜂矢は検事とともに全速力で追った。
怪人物は、うしろを見ながら、ひろい道路を馬道《うまみち》の方へかけていく。かれは老人のように見えながら、いやに足が早かった。しかし検事は学生のとき短距離の選手だったから、足には自信があったし、蜂矢は若さで追いつくつもりだった。
怪人物は、馬道の十字路をはすかいにわたった。そのとき自動車が怪人物をじゃました、だから追うふたりがつづいて、その十字路をよこぎったときには、わずかに距離を十メートルほどにちぢめていた。もうすこしだ。
がちゃーン。
怪人物は小脇にかかえていた黒い箱を歩道の上におとした。
「あッ、それを拾《ひろ》わせるな」
検事が叫んで、黒い箱の方へとびついた。蜂矢もその黒い箱にちょっと注意をうつした。それが怪人物にとっては、絶好の機会だった。二人が顔をあげて、怪人物の方をみたとき、怪人物のすがたはもうなかった。
怪人物は、かきけすようにすがたを消してしまったのである。異様《いよう》な黒い箱だけが、ふたりの手にのこった。
黒箱《くろばこ》の謎
「うーん、ざんねん。うまく逃げられてしまったわい」
長戸検事は、大通りのヤナギのかげで汗をふきながら、そういった。とり逃がした怪人物をあきらめたようなことをいいながらも、まだかれの目は往来《おうらい》へいそがしく動いていた。
「きょうは逃がしても、そのうちにきっとつかまりますよ」
蜂矢探偵が、検
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