世紀文福茶釜は、じつは彼が新宿《しんじゅく》の露天《ろてん》で、なんの気なしに買ってきた、めしたき釜《がま》であった。
「どうです、長戸さん、この景気は……」
と、蜂矢探偵は検事の顔を見る。
「いやあ、大したものだね。おそるべき大あたりの興行だ。これじゃ表の観音さまのおかせぎ高よりは多いだろう」
検事は目をぱちくり。
「それじゃ、われわれも場内へはいってみましょう。二郎君。入場券を買っておくれ、大人二枚に子供一枚。子供というのは、君のぶんだよ」
そういって蜂矢はポケットから、紙幣《さつ》をまいたのを出して、その中から七十円をとって、小杉少年にわたした。
少年は、すぐかけていって券を買って来た。そこで三人は、すごい人波にもまれながら、小屋の入口から中へはいった。
三千人あまりの入場者が、ひしめきあって、舞台の上の怪物の動くあとを、目で追いかけていた。
舞台は、拳闘のリングのように、見物人に四方をかこまれてまん中にあり、いちだん高くなっていた。そして舞台から二本の花道が、楽屋《がくや》の方へわたされていた。
大学生|雨谷《あまたに》は、りっぱな燕尾服《えんびふく》をつけ、頭髪はとんぼの目玉のように光らせ、それから長い口ひげをぴんと上にはねさせ、あご[#「あご」に傍点]には三角形のあごひげ[#「あごひげ」に傍点]をはやして、どうやら西洋の悪魔の化身《けしん》のように見える。
手にはぴかぴか光る銀の棒を持って、二十世紀茶釜にしきりに気あいをかけている。
「いよいよ、これより千番に一番のかねあい、大呼び物の綱わたりとございまする」
美しい女助手が六人、ばらばらとあらわれ、舞台に高く綱をわたす。そのあいだ、問題の怪物は、台の上の、赤いふとん[#「ふとん」に傍点]の上にどっしりしり[#「しり」に傍点]をおちつけ、ごとごととからだをゆすぶっている。
綱は引きはられた。助手たちは、左右へぱっと、花が飛ぶようにわかれると、三角軒狐馬師《さんかくけんこまし》がしずしずと舞台の中央に立ちいでて、口上をのべる。
「いよいよもって、二十世紀茶釜の綱わたりとございまする。ところがこの綱わたりは、あっちにもある、こっちにもあるというかびくさい綱わたりとはちがい、すこぶる奇想天外《きそうてんがい》、大々奇抜《だいだいきばつ》なる綱わたりでございまする。それはじつに、ユークリッドの幾何学を超越《ちょうえつ》し」
と、ここまでいうと、れいの花のような女助手が左右から雨谷のうしろにきて、雨谷のからだに、うらがまっかな大学教授のガウンを着せ、それから雨谷の頭の上に、ふさのついた四角い大学帽をのせる。
「しかして二十世紀の物理学の弱点をつき、大宇宙の奥にひそめられたる謎をば、かつ[#「かつ」はママ]ギリシャの科学詩人――」
「能書が長いぞ」
「早くやれッ。演説を聞きにきたんじゃねえや。綱わたりをやらかせ」
「そうだ、そうだ。早く茶釜の綱わたりを見せろ」
「……いや、諸君のご熱望にこたえ、くわしき説明はあとにゆずり、ではさっそく綱わたりをお目にかけまする。花形茶釜大夫《はながたちゃがまだゆう》、いざまずこれへお目どおりを。はーッ」
すると、れいの怪物の釜が、赤いふとんからむくむくと動きだして、ぬっとさしだした雨谷の手の上にひょいと乗る。
そのまま、お客のまえを、釜はあいさつするように、つつーッと通る。
それが一巡《ひとまわ》りすると、釜は綱のはしへ、ひょいとのせられる。
一本の綱だ。その綱はゆらゆらとゆれている。その上へ、釜がのる。見たところ、はなはだ不安定だ。
だが、怪物の釜は、どんとおしり[#「おしり」に傍点]をおちつけて、落ちはしない。
すごい空中曲芸
「早く綱をわたらせろ」
「足はどうした。茶釜から足がはえないぞ」
「タヌキの首もはえないや」
「さきに説明を打ち切りましたが……」
と雨谷が、ここぞと声をはりあげての口上《こうじょう》だ。
「二十世紀の茶釜は、昔の文福茶釜のようなタヌキのばけた動物とはちがい、純正《じゅんせい》なる『鉱物』でござりまする。その証拠には、お見物のみなさんがたよ、この二十世紀茶釜は足もはえませずタヌキの首もでませず、お見かけどおりの、いつわりのない釜でござりまする。それが、あたかも生《せい》あるもののごとく、綱わたりをいたしまするから、ふしぎもふしぎ、まかふしぎ。さあ大夫さん、わたりましょうぞ。はーッ」
雨谷の口上に、二十世紀茶釜は、そろそろと綱の上をわたりはじめた。
あれよ、あれよと、見物の衆の拍手大かっさいである。小杉少年も蜂矢探偵も、手をぱちぱちとたたく。ただ長戸検事だけは、こわい目を舞台へ向けて、手をたたくどころか、にこりともしない。
あやしい茶釜は、するすると綱の上を走ってま
前へ
次へ
全44ページ中22ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
海野 十三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング